スティーヴ・アルビニが死んだ。享年61。彼が率いるバンド、シェラックの10年ぶりのアルバム『To All Trains』のリリースを目前に控えての、あまりにも突然の死だった。彼を悼む言葉が今もSNS上には溢れ続けている。それは彼が過激な音楽家として、誠実な職人エンジニア/プロデューサーとして、そして頑固一徹なインディ原理主義者として半ば呆れられ、だが尊敬され、信頼され、愛され続けてきた証にほかならない。
アルビニ率いるビッグ・ブラック86年の出世作『Atomizer』は、その情緒性を一切排した極度にソリッドでリニアでハードでノイジーなサウンドで世界中に衝撃を与えた。都市の荒廃と狂気と暴力性を徹底的に具現化した極限のノイズはポストパンクを再定義し、ハードコア、スカムからポストロックまで無数のフォロワーを生んだ。
エンジニア/プロデューサーとしての彼が注目を浴びるようになったのは88年のピクシーズ『サーファー・ローザ』だった。ちょうどオルタナティブの急激な盛り上がりでUSのロックの流れが大きく変わりつつあった時期、まるでスタジオでバンドの生演奏を目の前で聴いているかのような異様に生々しい音像は、華美でドラマティックであるよりリアルであることを求めた時代の要請に合致した。
ニルヴァーナ、ペイジ&プラントといったビッグネームから、無名のインディバンドまで分け隔てなく手がけた数は彼自身によれば数千にも上る。アルビニの名は一種のブランドともなったが、バンドの音楽性や演奏の内容に必要以上に介入せず、鳴っている音をそのまま記録することをモットーにしていた彼は、プロデューサーという肩書きよりエンジニアと呼ばれることを好んだ。
徹底的な反商業主義を貫き、ダンスカルチャーを毛嫌いし、歯に衣着せぬ辛辣な批判でさまざまな舌禍事件も起こしたが、常に誠実で筋を通し、嘘やインチキを嫌う態度は終生変わらなかった。アルビニ以前/以後というタームは間違いなく存在する。あまりにも大きな、大きすぎる喪失だ。R.I.P. (小野島大)
スティーヴ・アルビニの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』7月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。
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