ロキシー・ミュージックからソロキャリアまで、ブライアン・フェリーの音楽人生が語られた超貴重ロングインタビュー!

●ときに、そのパブリックなペルソナとしての「ブライアン・フェリー」に距離を感じることはありますか?

「フーム、『ペルソナ』というのは、自分にもよく分からないなぁ。というのも、そのペルソナというのは……いったい何なんだろう? 私にも定かではないけれども、やはりこう、『スーツ姿の人物』みたいなものなんじゃないかな? あの当時、スーツを着てネクタイを締めるというのは変わっていたんだろうし。で、私は……うーん、君の言わんとしている(ブライアン・フェリーの)『ペルソナ』というのが何なのか、よく分からないんだが。上流階級の生活を送っている人間、というイメージなんだろうか?」

●先ほど仰ったように、ロキシー・ミュージックではあなたが主に曲/歌詞を書き、となればそこにはあなたご自身を込めることもあるわけです。

「ああ、もちろん」

●ですがブライアン・フェリーのソロレコード、特に他者の曲のカバーを多く取り上げた初期作品では、あなたは「別の誰か」、「翻訳者」になったと言えるのではないでしょうか?

「ああ、なるほど。歌の中で役を演じる俳優のように、ということだね。でも、もちろんどの俳優だって、役を演じる際にはそこに自分自身の一部を持ち込むわけだし」

●そうですね。

「それは事実だよ。うん……だから私はまあ、自分のレパートリーを広げるというアイディアが気に入っていたんだ。あの当時私は……1973年頃になるんだろうけれども、自分は(チャート上位に入るような)ヒット曲を書いてはいないし、自分は興味深い曲を書いているんだな、そう思っていた。対して、カバーするべく自分の選んだあれらの曲は、いずれもポピュラーな『ヒット曲』だったわけだ(笑)!

というわけであれは、より広い公衆層へ、より主流なパブリックへとリーチするためのひとつの方法だったわけだ。で、思うに恐らくそれによって、実際私は、この『広い公衆層』なるものを、ロキシー・ミュージックの音楽へと連れ込んだんじゃないかと。さもなければ彼らにとって、ロキシー・ミュージックは『うーん、自分にはちょっと奇妙すぎる音楽だ……』と思われていたんじゃないかな」

●(笑)。

「だから私は、彼らを『裏口』からロキシー・ミュージックの世界へ呼び込んだ、ということだね。フフフッ!」

●あなたのソロキャリアにおいて、カバー曲がかなりの割合を占めていて、しかも重要な意味を持っています。あなたにとって、オリジナルソングを作って歌うこととカバー曲を歌うことの違いはなんですか?

「その違いで最も大きなものとして真っ先に頭に浮かぶのは、『責任感』だね。他人の書いた曲を歌うときは、自由を感じる(笑)」

●偉大な名曲を歌うのも責任を感じるんじゃないかという気もしますが、あなたは逆なんですね。

「ああ。だから、そういった曲には、既に『偉大なバージョン』が存在しているわけだし。原曲を作ったアーティストが、もうそれはやっているだろう。そんなわけで私は、まあ、これはその『オルタナティブなバージョン』に過ぎない、そう考える。それに、(曲が優れているから)こちらもしくじりっこないしね(笑)」

●(笑)。なるほど。

「対して、いざ自作曲となると――やはり、『完璧なものにしたい』等々、考え込むわけでね……自分が発表するまで、まだ誰も耳にしたことのない曲なわけだし、『ああ〜』と悩む……そうだね、違いがある。たぶんそれは、責任感ということだと思う。それは、曲の書き手として感じるもののひとつだよ」

●なるほど。

「だから私は、曲を作る際に関わってくる、すべてのパーツが好きなんだよ。少なくとも、順調に進行しているときは、私もソングライティングが好きだ(苦笑)。スタジオで過ごすのは好きだし、そこで他の面々と共同作業し、ミュージシャン等とコラボレートするのも本当に好きだしね。

それに、スタジオ内で、コンソール卓の背後にどっかと腰を据えるのも好きだよ。普段の自分がやっているのは、大体そういうことだ。で、ときおり、パフォーマンスをやることもある、という。パフォーマンスをやるというのは、おっかない行為だ。ただ、面前のオーディエンスから喝采を浴びるのは最高の体験だからね(笑)、いや、あれは素晴らしいものだよ。というのも、観客が好きな音楽を、彼らの前で演奏できる機会を得るわけだから。それも、ミュージシャンである上で味わえる、冒険の一部だね」

●あなたはとても批評的なアプローチでカバー曲をやりますよね。あなたの解釈を通じて、その曲の本質を引き出すときもあれば、新たな面を浮かび上がらせることもある。

「ああ、なるほど」

●例えばディランの“はげしい雨が降る“ですが、私はディランのオリジナルも大好きですが、あなたのバージョンは実に非オーソドックスでモードも全く異なり、「ブライアン・フェリーの世界」の一部になっています。で、あなたは曲を理知的に理解してからカバーの仕方を考えるのですか?


「(即座に)ノー、いいや、それはない」

●では感覚的にカバーのアプローチを決めるのですか?

「なぜその曲をカバーしたいのかと言えば、大抵は……その歌に対してフィーリングを抱くから、その歌に愛情を抱くからであって。例えば、そうだな、私が一番最近やったカバーと言えば……直近のカバーは“シー・ビロングズ・トゥ・ミー“になると思う。これまたディランのカバーだし、『50年後』にやってみた、という(笑)。で、あれらの曲の歌詞が私はいまだに好きで、”シー・ビロングズ・トゥ・ミー“は本当に美しい曲だと思うし、ひとつカバーに挑戦してみよう、と思った。さて、どうカバーしようか?と思って、とにかくピアノの前に腰掛けて音を出しながら、その道/方法というのか、自分の一部だと思えるカバーの方向性みたいなものが浮かんでくるかどうか、試してみた。それと同時に、曲そのものに対しての敬意も備わった、そういう方向性をね。

というわけで……うん、とにかく、曲に対して想いがあるかどうか、それだけだよ。で、どうなるか試しにやってみる、という。ときに、着手した段階に較べて、完成したものが別物になっていることもある。作っていく間に、あれこれとややこしい旅路を経ることによってね。その一方で、最初に考えた姿のままで仕上がることもある。で、私が最初に取り上げたカバーは、そう、さっき君の挙げた〝はげしい雨が降る〟だったけれども――たぶん、私のやったベストなカバーは、あれなんじゃないかな? ハハハッ!」

●(笑)。それはないですよ!

「(笑)。自分はそう思う。少し前にあれを聴いて、我ながら『ワオ!』と思ったくらいで(笑)。それは、ドルビー・アトモス・ミックスで聴いた、というのもあったんだ。ボブ・クリアマウンテンが、ディスク1で、アトモス・ミックスを担当してくれてね」

●ああ、そうなんですね!

「素晴らしい響きだ。ああやってフレッシュになったバージョンを聴いたときは……今年の4月に、彼のロサンジェルスのスタジオで試聴したんだけれども、感想は(興奮した表情で)『ワオ、なんてこった! ベースが素晴らしい! ストリングスもグレイト! 何もかも最高!』という感じで」

●(笑)。

「(笑)。バッキングボーカルもファンタスティックな響きだし、これは良い、とぞっこん気に入ってしまった(笑)。いや、自分も気に入れることをやれるのは、最高な気分だからね。というのも、私は実際、自分でも気に入らないことをたくさんやっているし、そういったものは『ああ、もう気にするな、忘れてしまえ……』という具合だから。でも、うん、あの曲は本当に好きだ(苦笑)」

●それはたぶん、あなたが完璧主義者だからじゃないでしょうか?

「(照れ笑い)。さて、それはどうかな……」

●気に入らないものもあるでしょうが、これまで、あなたは本当に素晴らしい曲をいくつも作ってきましたし。

「うん」

●自分で作ったロキシー・ミュージックの曲をセルフカバーすることも度々ありますよね。それは曲のアップデート/モダナイズですか? それともアナザーバージョンですか?

「うん、私はただ、アナザーバージョンを作っているだけだよ。だから、『この曲は別バージョンをやるに値する』と感じる、そういうことだと思う。分かるよね? 例えば“マザー・オブ・パール“を自分で取り上げたとき、あの曲の前半部は使わなかった。あの曲はロキシーのアルバム『ストランデッド』(1973)収録曲で、二部構成でね。パート1&2、という具合に」

●ええ。

「で、その最初のパートはワイルドなノリで、次の第2部は内省的、という構成で。けれども曲の主体はその第2部であって。で、あるときたまたま、何人かの素晴らしいミュージシャンたちと作業をしていてね。ドラマーのスティーヴ・フェローンに、ベースプレイヤーのネイザン・イーストに……この同じセッションには、メイシオ・パーカー(Sax)も来てくれていた(※恐らく、1993年の『タクシー』セッションのことと思われる)。そういう腕の立つプレイヤーが集まっていたし、そこで、そうだ、“マザー・オブ・パール“のバージョンをやってみよう、と思い立った。とにかく見事にハマったし、素晴らしい響きでね。オリジナルバージョンとはすっかり変わっていたし、とにかく一種のオルタナティブなやり方、というものだった。

というのも、ほら、私たちの人生にしたって、日々、毎日は違うわけだよね(笑)? つまり、別の日だったら、また別のやり方で別バージョンをやっていることだろう。で、今日の自分は、このやり方でやろうじゃないか、と」


●“マザー・オブ・パール“には、そんなあなたにもいまだに通じる何かがあった、ということでしょうね。おっしゃる通り、あの曲の前半はパーティの喧騒を描き、曲の後半では「ああ、自分は何をしていたんだろう……?」的な、後悔やメランコリーが描かれます。

「(苦笑)。ああ……」

●けれども、もっと後になって、ある程度の年齢に達した視点から振り返っても、そこにあなたは共感できたのだと思います。ということは、今から50年前から、あなたのメランコリーはあなたのキャリアに一貫して響いてきたのかもしれません。

「ああ……まあ、『悲しい音楽』は、常に私の心に触れてきたからね」

●(笑)。

「(苦笑)。いやいや! 私は、センチメンタルな音楽が好きなロマンチストなんだよ、所詮は。最近も……というか、昨日のことだけれども、とあるラジオ番組向けにいくつか楽曲を集めてリストを作ったばかりでね。リストを眺めていて我ながら思ったよ、『おやおや、大半は悲しい曲じゃないか!』と(苦笑)」

●ハハハハハ!

「(笑)。でも、それらは悲しくも美しい曲なんだ! 例えば、マーラーからの選曲だったり……クラシック音楽の曲だね。ただ、私の心に最も訴えてくるのは、そういった類いの音楽なんだよ。つまり朝起きて、朝食を食べながら気軽に聴き流す、そういう音楽ではない、という(苦笑)」

●(笑)。

「だから、私は夕方向けの音楽や、たそがれ時のための音楽が好きだ、ということだね」

●スタンダードな曲、知名度の高いポピュラーな曲をカバーするというのはまさにポップアートそのものであるとも言えます。ポップアートは、どこにでもある一般的な物体/商品/広告等を再び作り替え、それを「芸術作品」にするということだったわけで。

「うん、その通り。そうしたありきたりな物を、別の場所に置き換える、という」

●ニューカッスル大学で現代アートを学び、一時期アートの教師でもあったあなたにとって、カバーとはポップアートの素材として歌を捉えるということでもあったのでしょうか。

「まあ、ソロの1作目を例にとると……もちろんボブ・ディランの曲があるし、それに実際、ストーンズの曲に、ビートルズの曲もある。アメリカ産のポップソングもかなり取り上げているよね……〈モータウン〉曲に、ブリル・ビルディングの職業作曲家の書いた曲……その手のポップソングを取り上げている。ああ、レスリー・ゴアの曲もあるな! 彼女は当時の私のゲイの友人連中にとってはこう、かなりキャンプなアイコン的存在だったんだよ。だから彼らは彼女のレコードが大好きだったし、それで私も、『そうか、じゃあ、レスリー・ゴアもやろう!』と思い立ったわけだ(笑)。要するに、遠慮は不要、と(笑)。

それと同時に私は、古典的な曲もやりたいと思った。それで、“愚かなり、わが恋”、ファーストソロのタイトルにもなった、あの古い曲を選んだんだ(※原曲の出版年は1930年代)。で、あれもまた、ちょっとしたキャンプな選曲であって……いやだから、よりによってなんでまた、ロックミュージシャンがあんな古い歌を歌うんだ?と。で、そこに対する私の思いは、単に、あの曲を歌っていて自分が楽しいからだよ、だった。それに、あの曲に一種の美しさを見出したからね。歌詞も美しいし、ノスタルジックでもあり、まあ、たくさんの要素があった、と。

というわけで、私たちはあの曲から非常に興味深い作品を作り出すことになったし、ただし、人々もあれをとても気に入ってくれたんだ。重要な点は、そこだよ。私は何か良いことをやったんだろうね(笑)。だから、うん、歌を本来の文脈から取り外し、別の文脈に置き換える、ということだね。そして願わくは、自分がそうすることで、作品を通じて、その歌に新たな生命を吹き込めれば、と」
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