以下、本記事の冒頭部分より。
1965年12月と1966年の最初の2ヶ月間、ザ・ビートルズのアルバム『ラバー・ソウル』は全英チャートで8週間、全米チャートで6週間1位を獲得し、グループが次のニューアルバムのための素材のレコーディングを開始するために1966年4月にアビイ・ロード・スタジオに戻ったときも、まだ全米トップ20にランクインしていた。『ラバー・ソウル』の「すべてがキラー・チューンで捨て曲なし(all killer no filler)」という素晴らしさは新たな基準を打ち立て、ロックの焦点をシングルからアルバムへとシフトさせたとさえ言われた。スタジオに駆け込んで、『どうすればいいか分かったぞ、分かったんだ……これを聴いてくれ!』と言った。それでみんなに逆再生で聴かせたんだ(ジョン・レノン)
他のアーティストたちが追いつこうと奮闘する中、ビートルズはさらに優れたものを作り上げる作業に取り掛かった。“トゥモロー・ネバー・ノウズ”
彼らが最初に取り組んだ曲は、新時代を切り開く“トゥモロー・ネバー・ノウズ”だった。これは、ジョン・レノンが4ヶ月前に夢想した、サイケデリックで疑似インド風の宇宙的スープのような曲だった。
それはまた、その日の朝にレコーディングアシスタントから昇進したばかりの19歳のアビイ・ロードのエンジニア、ジェフ・エメリックが最初に取り組んだトラックでもあった。「ものすごく緊張していました」と彼は振り返る。「ジョンからのリクエストの一つは、ボーカルの音を、25マイル(約40キロ)離れた山頂でダライ・ラマが歌っているようにしたいというものでした。当然、当時はプラグインもソフトウェアもありません。私たちが持っていたのは、2台のテープレコーダーと、1台のミキシングコンソール、そして1つのエコーチェンバー(残響室)だけだったんです」(以下、本誌記事へ続く)
ザ・ビートルズの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』9月号に掲載中です。
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