「わたしがここにいるのは誰かの分別とやらに復讐するがためだけ」ボブ・ディランの言葉は文学ではない。歌われてこそのポップ・ミュージックの歌詞なのだ。

「わたしがここにいるのは誰かの分別とやらに復讐するがためだけ」ボブ・ディランの言葉は文学ではない。歌われてこそのポップ・ミュージックの歌詞なのだ。
ノーベル文学賞を受賞した時、ディランはすぐにコメントを出さなかった。きっと戸惑ったのだと思う。「ノーベル賞?、俺が?何で?文学賞?良く分んない?」という感じだったのではないか。例えばジョン・レノンの歌詞もディランと同じように素晴らしい。しかし、ジョン・レノンにノーベル文学賞といわれても、何か違和感がある。基本構造はディランも同じだと思う。
彼はあくまでポップ・ソングの歌詞を書いていたわけで、文学を書いていたわけではない。
結果として文学的にも高い評価が可能なものになったのかもしれないが、きっとディランにとってはどうでもいいことだったのではないか。
このリリック・ビデオを見ても分かるように、言葉のひとつひとつがメロディとリズムと共振し、見事なグルーヴを生んでいるのが分かる。まさに歌われるための言葉、歌詞なのだ。
実はこのようにサウンドも言葉と同じように、とんでもないレベルのものが鳴っている。是非、このグルーヴに身をまかせてそれを感じてもらいたい。

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