1940年代から2017年まで、アメリカはなぜずっとフォークの国なのか

先週の日曜日に隣町の阿佐ヶ谷の映画館ユジクでボブ・ディランの映画がかかっていたので観に行った。
ディラン初期の、フォーク期に焦点を当てた、ドキュメンタリーだ。
ボブ・ディランについてさらに学びたかったのもあるが、今回はそれ以上にフォークについて学びたかった。
アメリカにとってフォークって何なのか、それをいろんな側面から勉強するのがいま自分の中でテーマの一つになっている。

ロックンロール以前からアメリカはフォークだった。
ロックンロールが台頭して、そのブームが去ったあと、またフォークの時代が来た。
そして再び、今度はイギリスからビートルズやローリング・ストーンズのロックンロールが「ブリティッシュ・インベイジョン」としてアメリカを襲った時も、アメリカで起きたのはバーズなど「フォーク・ロック」のムーブメントだった。
そして、その後の70年代のアメリカを代表するのは「ウエストコースト・サウンド」という一種のフォーク・ロックだった。
80年代の、最初のオルタナティブの動きは大学の非営利ラジオ局が中心になったREMらによるカレッジ・ロックという、これまたフォーク・ロックのムーブメントだった。
90年代、00年代前半はグランジ、メロコア、ラウドロック、ヒップホップ、アイドル・ポップが大隆盛を誇り、限られたエスタブリッシュされたフォーク・シンガー以外は日陰に追いやられていたが、
00年代後半以降から現在に至るアメリカのインディー・シーンにはウィルコからデヴェンドラ・バンハート、フリート・フォクシーズからボン・イヴェールまで、フォークは完全に主役の一つとして存在している。

アメリカは常にフォークの国なのである。
なんとなくわかっていたことが、このディランの出自を一つ一つ明かしていくドキュメンタリーを観て、そうした大きな背景を明確に理解することができた。


さらに、

イギリスとアメリカの音楽シーンの根本的な差異とは、

あるいは、

ヒップホップとは本質的に何か、

など、

いろんなテーマにを考える上で巨大なヒントになった。



阿佐ヶ谷ユジクという映画館もとても素敵な映画館だった。
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