コロナ騒動でライブが無くなった日々を過ごしながら思うこと

以前は、仕事が終わってから毎晩ライブに行っていたので、早くても帰宅は夜の11時時過ぎでした。
でも最近はコロナのせいでライブが延期や中止になり、帰るのが8時や9時というのが普通です。
9年前の東日本大震災の直後もそうでしたが、ライブがないと、僕ら音楽ジャーナリストは生活自体が大きく変わります。
僕は邦楽雑誌と洋楽雑誌の編集長を兼任しているので、来日アーティストと日本のアーティストのライブで、まずほとんど毎日ライブの予定が入っています。
夜の邦楽アーティストのライブを観た後に深夜から洋楽アーティストのライブへとはしごすることもよくあります。
なので、昼間の仕事を終えてから夜はライブに行って、帰って寝るという毎日です。
それが今回のコロナのようなことがあると突然無くなってしまうのですから、生活は激変です。
どうなるかというと、夜がヒマです。
眠るまでに時間の余裕があります。
普段はそんなものこれっぽっちもないのでそういう意味では大変ありがたいです。
でもやっぱり事態が事態なので、その時間をコロナのことを考えることに使ったりしてしまいます。
それは、東日本大震災のときにもそうでした。

考えることはみんなと同じで、まず、なんでこんなに政治がダメなんだろう? ということです。
安倍首相の唯一の功績が「マスクの転売禁止を指示」ですからね。しょうもない。
まあそんなことはみんなもうわかっていて、自分に必要な情報や危機管理の方法は、政治なんか当てにせずにネットやSNSで入手してそれを元に動いてますよね。
とにかくネット。すべてネット。
飲食店が開店しているのか、イベントは開催されるのか、学校や保育園はどうなっているのか、友達はどうするのか、お父さん、お母さんは大丈夫か、マスクはあるのか無いのか、ところで今日は日本では何人感染してイタリアでは何人死んだのかとか、とにかく全部ネットで知ります。
そもそもコロナ騒ぎ自体がネット上のバーチャルイベントなのでは?(だって、あなたの近くで実際にコロナにかかった人、いますか?)と思えてきます。


戦争や災害に襲われたときに、自分の命を守り、社会を危機から救うのは政治でも政治家でもなくネットであるということが、もう明らかすぎるほど明らかになってしまいました。
9年前の震災のときには、SNSの力も大きかったですが、自治体や、ラジオやテレビの威力もまだ感じられました。
テレビやラジオからみんなに行動を呼びかけて、さまざまな活動や運動が起きて現実に対して機能しました。
でも、今回のコロナに関しては、それぞれの個人がネットでそれぞれに必要な情報を収集して、不自由になった生活や仕事をネット・インフラを使ってそれぞれが補い、中止になったイベントやスポーツの代わりにそれぞれがネットでコンテンツを楽しみ……と、個人それぞれがネットを使って自己完結している感じがします。
ネットがあればそういうやり過ごし方ができるのです。
現実的にいろいろ解決しようとするより、事態に合わせてネットで自分の環境を最適化してやり過ごす。
そのほうがストレスもコストも少なくて済む。困るけど、まあなんとかなる。
そんなふうに世の中が変わってしまったと感じます。
「みんなで問題を解決する」ことよりも「それぞれがストレスを回避する」ことが優先で、そのためには「現実」よりも「ネット」と向き合うほうが有効、そういう方向に人々は進んでいます。
今、ツアーやイベントの中止でアーティストやファンは落ち込んでいますが、いずれそのうち「ネットのライブ配信いいじゃん。いや、むしろ楽だしタダだし、こっちのほうが良くね?」てなことになりかねないぐらい世の中が変わってきている気がします。

まあそれならそれでいいし、ある程度楽しく生き延びられれば何だっていいんですけど、それでも思うんですよね。
ネットと向き合うことで、そこで得られる知識や体験やイメージやスキルを使って現実ともっとより良い向き合い方ができるはずなんじゃないかって。
やっぱり現実に帰着させたいなあって。現実を諦めたり放置したくない。
やっぱり帰りが深夜になってもライブに通う毎日のほうがいいし、「マスクの転売禁止を指示」とかマヌケなことしかできない安倍首相をスルーせずに怒ってたいし、9年前に被災地に物資を届けに行ったことには意味があるはずなんですよね。
そういうことを忘れてしまうほどにはネットにすべてを委ねたくはないと思うのです。(山崎洋一郎)


ロッキング・オン・ジャパン次号『激刊!山崎』より
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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