クリープハイプ尾崎世界観の、超える一線、譲れない一線がいまとても大切な気がする

クリープハイプ尾崎世界観の、超える一線、譲れない一線がいまとても大切な気がする
思えばコロナ禍が始まってからクリープハイプの尾崎世界観にもう3回もインタビューしている。
アルバムが出たわけでもないし、それどころかツアーが中止になったり主題歌を担当した映画が公開延期になったりして、他のアーティスト同様に活動はゆらゆら揺れてちょっと曖昧にも見える。
にもかかわらず、最近のクリープハイプの活動は、けして目が離せない気がするのだ。非常に、怪しい。

例えば、”愛す”(ブス)だ。
クリープハイプにとっては会心のヒットシングルとなった”イト”から3年ぶりの、久しぶりのシングルである。
そこに「”愛す”と書いてブスと読む」、そういうシングルを普通持ってくるか?
歌詞の中には5回、ブス(表記もブス)が出てくる。
これ明らかに、わざと、意図的に、だろう。じゃあそれはなんのために?

その答えを論考していく前に、もう一つ例を挙げよう。

先月公開された”キケンナアソビ”のMVである。
YouTubeにアップする前から何度もYouTubeから削除され、何度も編集してようやく公開されたら結局は18歳以上の年齢制限が付いてしまった、というAVぽい設定のMVである。
まあそれほどエロくもなければ過激というわけでもない。
際どい線をわざと狙っている感じがする。
YouTubeに落とされたり年齢制限かかったのはむしろ狙い通りだったんじゃないかと思える。
じゃあ、なんのために尾崎はそんなことを企んだのか?


女性ファンが多いクリープハイプが、歌の中で5回も「ブス」という言葉を発するのは、かなりリスキーなことである。
会社であればコンプライアンス的に完全に✕である。

コロナ禍で世の中が大変な中、AV仕立てのエロMVを作って18禁になる
ことだって、アリーナ級アーティストのクリープハイプにとっては相応にリスキーなことである。
会社であればコンプライアンス的にまず✕である。

そこまでは尾崎ももちろんわかっていて、でもやったのである。
なぜなら、バンドは会社じゃないし、アーティストは会社員じゃないからだ。

リスクがあるからやらない、のは今の時代においてあまりにも当たり前の選択になっていて、年を追うごとに、いや日に日にその傾向は強まっている。
そしてコロナ禍が始まってからは、さらにそれは加速している。
自粛警察にコンプラ天国だ。

ブスという言葉を使うことは大きなリスクを伴う。
でも、「だから使わない」ではなくて、その歌の中でどう使い、どう歌い、そしてどう受け取られるかを考える。
それがアーティストの仕事だ。
あるいは、この自粛ムードの中で「エロ」のテイストをどう世の中に滑り込ませて成立させるかを考える。
それがアーティストの仕事だ。
尾崎はそこをまったく見失ってない。
過剰なSNS環境やコロナ禍で世間が物事の判断基準を見失っている中で、尾崎はむしろいつも以上に冴えている。
ほわほわしてるふりして、覚醒している。

アーティストは会社員じゃないし、バンドは会社じゃない、と書いたが、本当にそうなのか最近では怪しいものである。
そんな中、クリープハイプはバンドであり尾崎世界観はアーティストであるということを自分たち流のやり方ではっきりと表明している彼らは、さすがだと思うのだ。(山崎洋一郎)


ROCKIN'ON JAPAN最新号「激刊!山崎」より
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