サブカルのこと(ROCKIN’ON JAPAN最新号『激刊!山崎』より)

サブカルのこと(ROCKIN’ON JAPAN最新号『激刊!山崎』より)
サブカルのこと(ROCKIN’ON JAPAN最新号『激刊!山崎』より)
夏のロッキンも無事に終わったんでわりと時間に余裕があって気分がいい今日このごろ。空いた時間で何をしているのかというと、まあ聴けずに溜まった音源を片っ端から聴いたり観れずに溜まった映画やドラマや各種動画を観たり、そういうありがちなことをやっています。チェンソーマン観に行って、8番出口も観に行って、鬼滅を観ようかと思ったんだけど、そういえば今月はバンプの藤原基央にヒロアカのED曲のインタビューやるのに俺ヒロアカぜんぜん観たことなかった!(どうやらそういうやつは珍しいらしいですね)と気づいてヒロアカのアニメを1話目から初めて観て感動しまくったりもしていました。

そんなことをしていてふと(全然関係ないんだけど)感じたことがあって。それはサブカルということについて、なんだけど。

サブカルという言葉はそもそも海外と日本とでは指し示す事柄が違っていて、日本では趣味や嗜好性に特化した「コンテンツ」、という意味合いが強くて、海外では主流に対する抵抗や逸脱という「姿勢」の意味合いが強い。だから日本だとサブカル=アニメ、漫画、アイドル、ゲームみたいな趣味やエンタメのイメージで、海外だとマイナーなパンクバンドや社会からドロップ・アウトしたアンダーグラウンドなアーティストとかちょっと反逆的なイメージ。かなり違うんです。でも最近、海外では日本の「サブカル」がとても人気で、その場合の「サブカル」は日本の意味合いとしての「サブカル」なんですね。つまり、反体制とか抵抗とか逸脱とか関係なく、彼らは単純に日本のアニメが好き、漫画が好き、アイドルが好き、ゲームが好き、なわけです。

まあそれはいいとして、なぜ日本のアニメやゲームやアイドルが海外で今こんなにも人気なのかというと、それは日本が戦争に負けた国だからだと僕は思っています。それはいくらなんでも突飛な意見だと思うでしょうが、おそらく当たってると思います。日本のサブカルには「負けること」が内包されている。日本のアニメやゲームやアイドルなどのエンタメには、負けることを受け入れたうえでの幸せや物語や希望が宿っている。そこに、海外の人は自分の国のコンテンツやエンタメにはない喜びや幸福感や新鮮さを感じるのだと思います。もちろん日本のアニメにもゲームにもアイドルにも強い勝者の物語はあります。いや、ほとんどがそうです。でも、その「勝者」の物語の周囲にはつねにふわ~っと「敗者」の物語が広がっている。敗者がいてもいい、いや、いてもいいどころか幸せになっても希望を持ってもいい優しい世界が、勝者の物語を包みこんでいる。そういう構図になっているのです。日本のサブカルに惹かれる海外の人はその優しさが大好きなんだと思います。戦争に限らず、音楽でもファッションでも映画でも、アメリカやヨーロッパに負けていることを受け入れることから始まった日本だからこそ、そのうえでどうすれば幸せになれるか、どうすれば希望が持てるかを探し続けて、そして生まれたのが「負けることを内包した世界観」であり、それが日本の「サブカル」だと僕は思うのです。

BMSGがBE:FIRST、MAZZEL、HANAに続く新たなグループを誕生させるべく開催したオーディション「THE LAST PIECE」はとても興味深いものでした。10人を審査してそのうちの5人が新しいグループとしてデビューすることが発表され、その時に、なんとそれ以外の5人を中心にもう一つのグループとしてデビューさせたいということがSKY-HIから発表されたのです。たぶん、海外のオーディションの常識からすれば「はあ?なんだそれ??」だろうし、勝者と敗者が同じように幸福と希望を手にするなんてことは彼らにとってはありえない世界です。でも、それが日本人のメンタリティであり、それが今、サブカルやジャパニーズカルチャーとして急速に世界中から受け入れられ始めているのです。
(山崎洋一郎)
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