今からちょうど50年前にあたる1973年には、たくさんの名盤が生まれている。ピンク・フロイドの『狂気』、エマーソン・レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』、ザ・フーの『四重人格』、デヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』、などなど。クイーンやエアロスミスの1stアルバムが登場したのも同じ年のことだ。
そしてこの年の3月、キング・クリムゾンは『太陽と戦慄』を発表している。同作はこのバンドにとっての最大のヒット作ではないし、特筆すべきような記録を打ち立ててきた事実もない。それにもかかわらず愛好家の間でいまだに高い人気を誇っているのは“太陽と戦慄 パートⅡ”における名演と、この怪物のような楽曲が誕生していく過程のようなものを味わえるからではないだろうか。
当時のキング・クリムゾンはすでに一度解散状態を経ており、この作品がロバート・フリップ/ジョン・ウェットン/ビル・ブルーフォードの3人を核とする時代の始まりを告げるものとなっている。そして作品自体は混沌とした様相をしているにもかかわらず、絶望を経たのちに想定を超える化学反応のユニークさを実感できたからこその、フリップの創造者としての喜びが詰め込まれているのだ。
2月7日発売のロッキングオン3月号に掲載されるキング・クリムゾンの記事では、この特異な作品が誕生することになった経緯が彼ら自身の口から語られている。同期の名盤というべきピンク・フロイドの『狂気』との対比も楽しみながら、是非ご一読いただきたい。(増田勇一)
“太陽と戦慄 パートⅠ” ライブ動画(1972年)
https://www.youtube.com/watch?v=WhudDa3JAyc
キング・クリムゾンのドキュメントは、2/7(火)発売のロッキング・オン 3月号に掲載します
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