ニール・ヤングが74年から75年にかけて制作していたものの、結局リリースを見送ってそのままずっとお蔵入りになっていたのが、今回45年ぶりに正式にリリースした本作『ホームグロウン』だ。当時、ニールはなぜこのアルバムを見送ったのか。たとえば、この作品の内容はほぼすべて女優キャリー・スノッドグレスについて歌ったもので、それもすべて彼女との終わった関係について書いたものだ。さらにキャリーとは一児をもうけることにもなったのに、それでもふたりの関係が終わってしまったことにまつわる、絶望感、悔恨、悲しみなど、ありとあらゆる傷が歌い込まれた、徹頭徹尾エレジーに満ちた作品になっている。土壇場でニールはリリースを見送ることにしたが、そのわけについてはその後のインタビューで「ちょっと個人的になり過ぎたと思ったんだ。(出すのが)怖くなっちゃったんだよ」と説明している。
その一方で、73年以降のニールの作風は、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、それと70年のサード・ソロ『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』、それと72年のソロ『ハーヴェスト』の大成功によって築いた人気と評価から背を向けるようなものに終始するようになったともいわれる。というのも、自分にはありえないと思っていた、降って湧いたような大ブレイクに見舞われて動揺し、今後は、ファンやメディアが期待するであろうものに惑わされることなく、自分のやりたいことだけに徹すると心に決めたからだとニールは語っている。
73年には『ハーヴェスト』のツアーで披露した未発表の新曲だけを収録したどこまでも攻撃的なライブ盤『時は消え去りて』をリリース。すると取りかかったのが、バック・バンドとして目をかけていたクレイジー・ホースのギタリストのダニー・ウィッテンや親友だったスタッフがヘロイン中毒で命を落としたことをテーマとした楽曲の数々で、それらを73年に『今宵その夜』としてまとめるが、あまりにも暗いとレコード会社にリリースを見送られてしまう。それを受けて制作リリースされたのが74年の『渚にて』だが、これもまた、自分の名声への幻滅や60年代末から台頭した反体制運動やサブカルチャーの機運の退潮と変質への幻滅などが内省的に綴られる内容となった。あまりのメジャー感の欠落に衝撃をもって迎えられ、80年代には廃盤となるほどファン受けはよくない作品だった。このアルバムでもすでにキャリーとの関係の破綻は歌われていたが、この次回作として制作された『ホームグロウン』はほぼすべてが破綻を迎えたキャリーとの関係について綴ったものだった。しかし、作品が仕上がると今度はニール自身がリリースにためらいを感じることになり、そこで2年前にお蔵入りになった『今宵その夜』がこの年(75年)にリリースされ、『ホームグロウン』は現在に至るまで未発表のままに終わっていた。
ただ、一部の曲はその後のアルバムにも収録されることになり、たとえば、大麻讃歌となって本作では唯一キャリーのテーマからは離れている“ホームグロウン”、あるいはエミルー・ハリスがバック・コーラスを務め、関係が終わった後の虚無感と寂寥感を綴る“ベツレヘムの誇り”は77年のアルバムで、これもまたキャリーのことを歌っていると思わせるヒット曲“ライク・ア・ハリケーン”を生んだ『アメリカン・スターズン・バーズ』にも含まれている。
本作で最もキャリーとの別離のテーマがあけすけに歌い上げられているのはオープナーとなる“セパレート・ウェイズ”で、今の自分が立ち直れるのはかつてのあの愛を知っているからだと相手との決別をニールはエレジアックに、いってみれば、むせび泣くように歌ってみせる。こうした内容があまりにもパーソナルだからニールはリリースを躊躇したのだろうし、げんなりするものだから見送ったと自身でも語っている。
しかし、今作においてなによりも注目すべきなのは、楽曲と演奏がこれまでの数作ほど過剰にエキセントリックなものにはなっていないことだ。むしろニールがここで吐露する絶望や諦念などをやさしく包み込んでいくものに曲も演奏もなっている。ある意味で、ここ数年にわたってニールを苛んできた内面的な危機は、このアルバムの音とともに乗り越えられたという感動も伝える内容になっているのだ。
実際、どの曲もよく出来ており、これを当時リリースしていたら、傑作として好意的に迎えられ、曲に共感した人も多かったはずだ。しかし、そうであればこそキャリーが悪者になってしまうことをニールは一番恐れたのだ。当時見送ったことは正しい判断だったのだ。 (高見展)
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