米津玄師、言霊と声のトーンが切り開く未来。『KICK BACK』徹底レビュー

米津玄師『KICK BACK』
発売中
SINGLE
米津玄師 KICK BACK
この11月23日に、待望のフィジカルシングルがお目見えした米津玄師の『KICK BACK』。表題曲は周知の通りTVアニメ『チェンソーマン』のオープニングテーマとして先行デジタルリリースされ、米津が手がけたアートワークには「チェンソーの悪魔」に変身した主人公デンジが描かれた。キャラクターを横アングルで捉える構図は、米津の前作『M八七』のウルトラマンと対を成すようである。

9月19日にTVアニメ『チェンソーマン』のワールドプレミアが開催・生配信され、その中で米津玄師による書き下ろしのオープニングテーマ曲“KICK BACK”起用決定が報じられた。米津と、楽曲の共同アレンジャーとして参加した常田大希(King Gnumillennium parade)もビデオ出演し、制作経緯を語る。また、“KICK BACK”にはモーニング娘。による2002年のシングル曲“そうだ!We’re ALIVE”の歌詞の一部が引用されていることが明かされたのだが、“そうだ!We’re ALIVE”のプロデューサーであるつんく♂はすぐさま自身のnoteで「米津玄師氏の担当の方から連絡がありました」という文章を公開。歌詞使用許諾の顛末を振り返りつつ「才能の塊というのは本当に恐ろしい」と“KICK BACK”を称賛することで、こちらも大きな注目を集めた。10月11日に『チェンソーマン』のオンエアが開始されると、翌12日に“KICK BACK”がデジタルリリース。10月25日にはミュージックビデオも公開され、米津と常田がジムでのトレーニング風景で共演。ラストはパルクールさながらのチェイスシーンの中で米津が増殖するという、楽曲に負けず劣らず痛快、かつシュールな展開のビデオになった。

では、あらためて“KICK BACK”という楽曲に向き合ってみよう。重量級ベースラインと鋭いブレイクビーツによって切り出されるイントロを経て、早速あの《努力 未来 A BEAUTIFUL STAR》という“そうだ!We’re ALIVE”から引用されたフックが飛び出すと、前のめりかつ性急に転がり出してゆく。常田のトレードマークでもある拡声器パフォーマンスのような割れたトーンのフックは、歌詞としては引用でありながらもその不穏な響きにおいて“KICK BACK”という楽曲の独立した性格を定義していると言えるだろう。加えて、件の『チェンソーマン』ワールドプレミアで常田が語っていたところによれば、“KICK BACK”への参加には「米津に油を注ぐ」ことに狙いがあったという。熱いシャウティングボーカルを引き出された米津の節回しもまた、発狂寸前のテンションで疾駆する“KICK BACK”のダイナモとして機能し、その飛び抜けた熱量は先頃の「米津玄師 2022 TOUR / 変身」における“KICK BACK”のパフォーマンスでも明らかであった。常田に焚き付けられてライバル意識を剥き出しにする米津については、MVの中でも腕部ムキムキのコミカルな姿で描かれている。こんなふうに、米津と常田の共同アレンジはスペシャルな化学反応として楽曲に落とし込まれたわけだが、一方で僕はこの曲に初めて触れた時、ある種の懐かしさを味わった。メジャーデビュー前の米津がハチ名義でも繰り広げていた密室的なDTMプロダクション、そして高度かつ意外性に満ちた楽曲展開がもたらす音楽のワクワク感。常田との共同アレンジによって新たな作風に到達しながらも、“KICK BACK”の奥底には米津個人の極めて若々しくピュアな表現欲求が渦巻いている。それが、さまざまな曲調で話題性たっぷりの国民的ヒットを連発してきた昨今からすると、懐かしい手応えをもたらしてくれたのである。

“KICK BACK”のすごさはもう一点、『チェンソーマン』という作品の中に流れる「欲求」という根源的テーマを掬い上げ、それを出発点に歌詞が綴られていることにある。あまりにもタフな境遇を差し置いて、ピュアな「欲求」だけを胸に闘う『チェンソーマン』の主人公デンジ。悪魔を宿し変身した姿は見るからにおぞましくダークヒーローそのものなのだが、彼はそのピュアな「欲求」ゆえに生命力を煌めかせ、ときに危なっかしく滑稽ですらあるそのエネルギーが、我々を魅了してやまないのである。

世代的に、1997年結成のモーニング娘。(彼女たちがシーンを席巻していったあの時代は、『チェンソーマン』のパラレルな時代設定とも概ね符合している)を聴き馴染んでいたはずの米津。記憶に染みついた《努力 未来 A BEAUTIFUL STAR》という言霊を、狂気じみた日々の中で己に言い聞かせるように反芻する米津に対して、つんく♂は「理由もクソもないだろう。そう閃いたのだからそうするのだ」と指摘した。人それぞれの重い境遇は生きる活力を奪い、愛や正義は立場で形を変えてすれ違いや諍いを生み続けるけれども、命を駆り立てるそれぞれのピュアな欲求において我々は平等だ。“KICK BACK”は、「We’re ALIVE=生きている」という実感に何度でも立ち返る、反動のアンセムである。

さて、今回のシングル『KICK BACK』にカップリングとして収録されたのは、まっさらな新曲“恥ずかしくってしょうがねえ”である。曲調としてはスロウで美しいメロディを備えているものの、その率直かつ痛烈な詩情においては、こちらも強烈な言霊と化す楽曲に仕上げられた。

爪弾かれるギターフレーズがゆったりと交錯し、ダウナーなコード進行や不協和音までもが丹念にデザインされたアレンジは、突発的な感情ではなく長い時間をかけて蓄積してきた苛立ちや失意の念を表現するかのようである。何しろ歌い出しからして《あんたらみたいにゃなりたかねえな/熱意と嘯き誰を蹴る/ことが済んだら 全て忘れて/恥ずかしくってしょうがねえ》という歌詞になっているのだから、その積もり積もった感情がストレートに胸に突き刺さる手応えは尋常ではない。具体的な事例が挙げられているわけではないけれど、インターネット記事やSNSに触れて生きる現代人なら誰にでも身に覚えがある感情だろう。嵐のようにさまざまな意見が飛び交う中に身を晒し、心を擦り減らす時代の歌である。インターネット音楽出身の米津が今、こういうメッセージを楽曲として発信することがなおさら興味深い。

タイトルにそのまま表れた《恥ずかしくってしょうがねえ》という思いは、つまり米津自身の「美意識」である。極めて個人的な「美意識」が、米津の記名性や責任を伴っているのだ。“KICK BACK”が人それぞれの「欲求」の讃歌なら、“恥ずかしくってしょうがねえ”は人それぞれの「美意識」にフォーカスした歌と言えるかもしれない。もちろん、「欲求」と同様に「美意識」も人によってまちまちだ。場合によってはすれ違いや諍いも起こりうる。自身の「美意識」に基づいて痛烈なメッセージを放った米津ではあるけれど、この曲の最重要ポイントはその痛烈さにあるのではない。《サングリアワイン 誰もがユダなら/もっかいちゃんと話そうぜ》と歌い、対話の席につこうと呼びかけている。ワイン=血、そしてユダ。つまり、「最後の晩餐」である。米津がこの楽曲を発表したことの覚悟の大きさを、窺い知れるだろう。

音楽性の進化発展に伴い、自身が生み出した楽曲の必要性に迫られるようにしながらメキメキと歌唱力を向上させてきた米津。落ち着いた語り口でありながらドスの利いた、本気度の高さが伝わる“恥ずかしくってしょうがねえ”の響きも、歌詞に込められた言霊同様にじっくり噛み締めてほしい。(小池宏和)

(『ROCKIN'ON JAPAN』1月号より)

【JAPAN最新号】米津玄師ロングインタビュー。シングル『KICK BACK』、アニメ『チェンソーマン』を語る
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