Furukawa自らも理系出身の特性を認めているようにドーパンの音楽は数学的で、理知的なフォルムを持っている。リズムも、ギターの畳み掛けるタイミングも、歌メロの乗せ方も、どれもが数学的で、エレクトロニックな打ち込みとあれだけの親和性を誇るのもだからだろう。けれど、その一方で、Furukawaは自らロック・スターと名乗り、目立ちたがり屋であることを認め、クリエイティブであることにこだわり抜いている。この過剰さ、それこそがドーパンのもう一つの面白さだと思う。自分たちの音楽がライフスタイルや価値観、といったトータルなものに触れないと許せない。この数学的なシンプルさと全方位的な過剰さという二面性がドーパンの音楽には常にあった。
けれど、既にCMでかかりまくっているこの新曲は、その二つの間のジレンマを軽々と跳び越えている。シンプルに突き抜ければ、おのずと曲は世界観を語りだす。この夏のアンセムは、そんな確信に満ちている。ライブでは熱狂的なノンストップ・ダンス・タイムを現出してみせる彼らだが、あの本能的な感触をこの曲は見事に描き出している。美しき生存者とは、まさに言い得て妙。(古川琢也)