テーマは一言で言うなら「自然とテクノロジーの共生」。最先端のテクノロジーを使ったヴァーチャルな音とカスタムメイドの楽器による物理的な音を使って様々な試みが行なわれているのだが、最終的に本作で鳴っているのは、彼女がずっと命題としてきた「可能性への想像力」であり、「他者との出逢い」である。ビョーク自身、「考えてみたの。誰かがこのアルバムを10年後に中古のお店で買って聴いたら、きっと他のアルバムと変わらないって思ってくれる。アプリがなくても同じように楽しめるはず」と語っているが、それゆえに本作ではビョークの最もビョークらしいメロディがまっさらに鳴っている。それはクリシェではなく、未来への福音に聴こえる。(古川琢也)自然の精霊聴いてすぐにわかる。声だけじゃない。サウンド、リズム、メロディ、和声、空気感、どこもかしこもビョークというサインがでかでかと書き込んである。この毅然とした強い意志と個性の強さが、まさにビョークそのものだ。だがそれは、ビョークのアルバムには必ずあった、それまでのビョーク観を覆すような「驚き」が希薄、という意味でもある。その意味では手堅い、とも言えるが、聴き込むうち、これは彼女が培ってきたさまざまな方法論や意匠を単に踏襲するのではなく、ラジカルなまでに鋭く研ぎ澄ましたものと了解できる。特にヘッドホンで聴くとよくわかるが、そのサウンド・プロダクションの完成度はとんでもなく高い。空間設計と音の配置が絶妙で、ひとつも無駄な音がなく、音のない空間にも意味がある。一度没入してしまうと金縛りのように離れられない。その密度の濃さは息が詰まるほどだ。
前作『ヴォルタ』では久々にポップで開かれたビョークが聴けたけれども、本作ではまた天上世界にゆらゆらと漂っている。さながらここでの彼女は「自然の精霊」だ。彼女自身が火や水や風や土の化身となってしまったかのように、その声は典雅にして謎めき、同時に厳しく容赦ない。まるでビョークのたたずまいは北島マヤ演じる「紅天女」だ。
さまざまなマルチメディア展開を前提とした作品なので、コンセプトやテーマの解釈も含め、かみ砕き消化するには時間がかかりそう。先に、希薄と書いた「驚き」は、それらの展開の過程でいやというほど体験することになるはずだ。(小野島大)