今年1月に開催したイベントでは東名阪のZepp公演がすべてソールドアウトするなど、支持層を拡大させているシンガーソングライター・夏代孝明。そんな夏代が、7月25日にビクターエンタテインメントから新曲“ジャガーノート”と“エンドロール”を配信限定でリリースする。特に“エンドロール”は、初めて自分自身のなかにあるマイナスな感情をありのままに曝け出すことで、同じような悩みを抱える人に寄り添いたいという想いも込められている。以下のインタビューでは、夏代が音楽を始めたきっかけから、学生時代のバンド経験、メジャーデビュー以降の想いまで、じっくりと話を訊いた。常に「かっこいいと思うもの」に向かって根拠のない自信を胸に突き進んできた、夏代孝明のピュアな衝動が伝わればと思う。
インタビュー=秦理絵
自分のことを「天才なんじゃないか」と思ってたんですよ(笑)
――夏代くんが音楽を始めたきっかけはなんだったんですか?
「いちばん最初にハマったのは、中学2年生ぐらいのときに聴いたBUMP OF CHICKENの“天体観測”でした。僕、それまで楽器を全然やったことがなかったんですけど、クラスの友だちと、『どうやらスコアっていうやつを見ながら弾けば、俺らも同じことをできるらしいぞ』っていう話になって、コピーしたんです。それでボロい中古屋のギターを買ってきて、コードを覚えることから始めたら、『あれ? できなくない?』みたいな(笑)。そこから文化祭を目指して、かなり練習しましたね」
――一気にのめり込んだんですね。
「僕、福井県出身なんですけど、すごく田舎だったんですよ。ボウリング場が1個か2個しかないぐらい遊ぶところがなかった。だから、音楽と出会ってからは、好奇心がスゴかったんですよね。他にやることがなさすぎて(笑)」
――バンドを組んだ時は、迷わずギターボーカルだったんですか?
「歌に関しては、ちょっと別の話があって。小学校高学年ぐらいの頃に、クラスで合唱をする時間があったんですけど、先生に注意されたんですよ。『音が合ってないし、歌い方がおかしい』って。僕、そこで初めて自分は歌がヘタなんだって気づいたんです。そしたら、先生が『放課後に練習に付き合うから』みたいに言ってくれて。やっていくうちに少しずつ上手く歌えるようになって、歌うことが好きになったんです。だからBUMP OF CHICKENのカバーをするときも、迷わず『藤くんと同じことがしたい!』と思ったんですよね」
――結局、文化祭でBUMPは演奏したんですか?
「やったかな?……覚えてないけど、めっちゃ練習はしましたね」
――そこから本格的なバンド活動にはならなかった?
「中学の時はならなかったですね……高校受験もあったので。でもひとりで弾き語りをしてて。高校に入ってから、またバンドを組んだんです。当時、ドラムとキーボードとベースとギターがいて、僕がギターボーカルで。やってるうちに、『どうやらライブハウスでブッキングをしてもらったら、ライブに出られるらしい』っていうことを知って。福井県にはライブハウスがふたつしかないんですけど。HALL BEEとCHOPっていう。それで両方の店長さんに電話をして、『どうやったらライブができるんですか?』って聞いて、コピバンのイベントに出てたんですよね」
――当時は何をコピーしてたんですか?
「エルレ(ELLEGARDEN)ですね。ベースの子もエルレが好きだったので。英語が苦手だったから、曲を聴きながら、歌詞にカタカナで読み方を書いて歌ってました(笑)」
――まだオリジナル曲は作ってなかったんですか?
「高校2年生ぐらいから作り始めたんです。バンドのオーディションがあって。オリジナルがないと応募できないから、『じゃあ、作ろう』って。パソコンでフリーソフトを使いながら作ったんですけど、いざ合わせたら『BPMがズレてる!』みたいな感じで(笑)。なんとか3曲ぐらい作りましたね。まだ実家のパソコンに入ってますよ、怖くて開けられないけど(笑)」
――高校時代の活動はそれぐらい?
「そうですね。また大学受験の時期になると、みんなバンドを辞めちゃったので。でも、恥ずかしいんですけど、自分のことを『天才なんじゃないか』と思ってたんですよ(笑)。高校生でこんないい曲を作れる人はいないと思ってたんです。オーディションでも、審査員にも、誰にも届いていなかったにもかかわらず」
――まったく根拠のない自信(笑)。
「そうなんですよ。で、バンドが解散したあと、どうやらマイクとインターフェイスとヘッドフォンがあったら同じことができるってわかって、機材をそろえて投稿するようになったんですけど。そうやっていくうちに、自分の自信が、あきらかに過剰だったことに気づくんです(笑)。他の投稿されてる曲のほうが感情もこもってるし、上手いし。『じゃあ、自分の曲は何が違うんだろう?』っていうのを追求していったんですよね」
――「あ、敵わないな」って気づかせてくれたのは、誰の曲でしたか?
「supercellのryoさんのボーカロイド楽曲なんですけど、“メルト”っていう曲が衝撃的でした。自分の作ってたものとは全然質が違ったんですよ。あと、その“メルト”を、halyosyさんという方が投稿していて。それも僕の歌とは全然違ったんです。そのふたつがインターネットの音楽との大きな出会いです」
世界に対して自分のメッセージを届けられるチャンスがあるのが「音楽」だと思った
――当時、ラジオとかテレビで流れてるような音楽ではなくて、インターネットの音楽のほうに大きな魅力を感じてたのは、どうしてですか?
「ラジオとかテレビから流れてくる曲は、僕にとって雲の上の存在というか。自分の手が届くものじゃないと思ってたんです。逆に、当時のネットの世界はアマチュアのほうが主流だったんですよね。今はそこからプロになった人もたくさんいますけど。アマチュアっていうことは、自分と同じ立場じゃないですか。そういう人たちがテレビと同じ感動を与えてるのがすごいなと思ったんです。アマチュアでこんなにできる人がいるのに、自分が天才だって勘違いしてるのは良くないかも、もっとがんばってみようと思ったんですよね」
――手が届きそうな感じがしたんですね。
「そこから、さらに音楽が好きになっちゃって。高2の夏を越えたぐらいから、『もう俺は音楽で食っていくんだ』みたいなことを言ってたんです。でも、高3の三者面談の時に、先生と母親から『お前は現実が見えてないのか!』って怒られて。すごく家族の空気が悪くなっちゃった時期もあるんですけど……」
――そういうときも、夏代くんがあきらめずに音楽に向かっていった理由はなんでしょうね? ひとりになっても、親に反対されても、やり続けたいと思えたのは。
「あとあと気づいたことですけど……好きな人ができたら、告白をするじゃないですか。僕はそういうのが本当に苦手なんです。でも、世の中にはラブソングがいっぱいあって。メロディとかコードが気持ちを伝える手助けをしてくれると感じたんですよね。僕みたいに思ってることを素直に言えないような人間でも、世界に対して自分のメッセージを届けられるチャンスがあるのが『音楽』だと思ったんです」
――なるほど。だから夏代くんは日本語を大事にして曲を作っているんですね。
「そうですね。僕、日本語が好きなんですよ。同じ言葉でもいっぱい意味があるから。『ヤバい』だったら、追い詰められてるのか、褒めてるのか、貶してるのか、いろいろな意味があって、コードとかメロディでも意味合いをつけられるし。そこを大事にする作品をどんどん作っていけたらなって思うんですよ。それは、父親が好きだったMr.Childrenの影響ですね。ミスチルに日本語の美しさを教えてもらったと思います」
――もともと夏代くんの投稿した楽曲がバズったきっかけはなんだったんですか?
「高2の時から投稿してたんですけど、聴いてもらえるようになったのは、わりと最近なんですよ。最初は夏代孝明っていう名前をまったく出さずに投稿してて。そのほうが当時の界隈の主流だったんですよね。状況が変わったのは、夏代孝明っていう名前で投稿するようになってからで。僕はオリジナル曲でバンドをやっていて、今は休止中ですけど、そっちでは『ボーカル・夏代孝明』で活動をしてたんですよ。やっぱり『ボーカル・藤原基央』っていうほうが、かっこいいじゃないですか(笑)。だからなんの抵抗もなく、この名前で初めて“サリシノハラ”っていう曲を投稿したら、『夏代孝明って誰だ?』みたいな感じで聴いてもらえたんですよね」
――そこから、2015年にメジャーデビューすることになりました。デビューしたことで変わったことはありましたか?
「メジャーデビューする前は、自分の好きなことを好きにやるっていう感じだったんです。その頃は自分自身を満たすためっていうのが原動力だったんですけど、今は関わってくださる方も増えたし、自分のために時間を使ってくださる方のために、胸を張って音楽を作っていけるアーティストになりたいと思ってます」