大塚 愛、彼女のクリエイティブの源とは? デビューから出産を経て今に至る15年間の振り返りインタビュー 

大塚 愛、彼女のクリエイティブの源とは? デビューから出産を経て今に至る15年間の振り返りインタビュー 

縛られるのが苦手で仕方がない自分が、世間が作った大塚愛の中で曲作りをしなければいけない。息苦しくてずっと逃げたかった


――毎年恒例のバースデーライブ『LOVE IS BORN』、今年はシングル全曲を披露するというコンセプトのもと開催したわけですが、愛さんが15年間で生み出した名曲が目白押しなことに加え、演奏形態などにも工夫が凝らされていて、最初から最後まで充実した内容でした。

「ありがとうございます。シングルを何枚出したかもちゃんとわかっていないままノリで『今年の「LOVE IS BORN」はシングル全曲やる?』なんて言っちゃって。でも自分で言っちゃったからにはやらないとなって。曲が多すぎたので途中メドレーにしました(笑)」

――(笑)。シングル曲で構成されたステージを見て、愛さんは女性シンガーソングライターの歴史に革命を起こした人物だなとあらためて思いました。“さくらんぼ”や“SMILY”のような男女問わずカラオケで盛り上がれるキャッチーなポップセンスが溢れた楽曲、“Happy Days”のようなきらきらした少女性と野太いロックを融合させた楽曲、“黒毛和牛上塩タン焼680円”のようなキュートでありながら色っぽいアプローチ、“プラネタリウム”などの胸をえぐる悲恋バラードなどなど挙げればきりがないですが、高いアイドル性を持った女性シンガーソングライターがここまで多彩な表現をすることは、それまでにあまりなかったなと。

「いやいや……。15年を振り返ってみると、『なんて不真面目にやってきたんだろう』と思うんですよ。一貫性がないしバラバラだなあって。その時のノリだけで生きてきた気がする(笑)」

――他の人に歌ってもらうために作った曲とそれに入れた仮歌が認められて、愛さんはシンガーソングライターとして2003年にデビューを果たしたんですよね。

「デビュー前は歌を否定されつづけていたので、作曲家になれればいいかな……と思いながら曲をたくさん作っていたところに、ひょんなことがきっかけで自分が歌うことになって。だから自分でも気付かないうちに、仮歌さんの意識のままデビューをして、仮歌さんのまま活動してしまってたんです」

――2ndシングル『さくらんぼ』がヒットし、その後もコンスタントなリリースを続け軒並みヒットチャートにランクイン、紅白歌合戦には何度も出場し、若者はこぞってカラオケで歌う……と、とても華々しいご活躍でしたが。

「デビュー前から『(音楽で)ちゃんとごはんを食べられるようにならないと!』と思っていたので、シングル曲ではなんとなく私が感じる世の中にウケそうな曲、自分が好きかどうかより人に好かれそうなものを作ることに100%振り切っていました。その代わりアルバム曲やカップリング曲で自分の好きな曲を作ることでバランスを保っていたんですが、シングル曲の要素の一部分だけがピックアップされてイメージ付けされていって、自分が思う大塚愛と世間が作った大塚愛にズレが生まれてきたんです。もともと縛られるのが苦手で仕方がない自分が、世間が作った大塚愛の中で曲作りをしなければいけない。息苦しくてずっと逃げたかった。街で『大塚愛さんですよね?』と声を掛けられることも怖いと感じてしまったんです」

――それは……心を壊してしまってもおかしくない状況だったのでは。

「周りの人が根気強くしっかり支えてくれたから活動できていたんだと思います。よくクビにならなかったなと思うくらい(笑)。あと、それが丁度ピークに達した頃、一気にデビュー前の生活に戻ったんですよ」

――ああ、2010年9月の「LOVE IS BORN」を最後に産休に入られましたね。翌年3月には娘さんが生まれて。

「その期間でそれまでの『縛られている感覚』やいろんなことをだいぶ忘れることができました。音楽業界の変動期でもあったので、商業志向をリセットするのはこのタイミングしかないなと思ったんです。自分自身をより良く生かすにはどうしたらいいか考えて、復帰後はファッションから楽曲から一新しました。いいのか悪いのかわからないけれど、今は『大塚さんはこうでないと!』と強いるほど世間も私に興味がないから(笑)。あの時みたいな息苦しさはないですね」

――娘さんが愛さんを救ったということですね。

「うん。そうだと思います」

やっぱり曲は「ああ、悲しい! 人生終わりだ! 死にたい!」くらいまで感情が動かないと出てこないですよね。感情が動いていない状態で作るものは「無」だと思う


――そんな過酷な状況でお作りになったデビューから産休までに出したシングル曲を振り返って教わることもありますか?

「親になってから、子どもの手前『精神状態が右往左往しちゃいけないな』と思い、感情ブレーキがはたらくようになってきたんです。でも過去の楽曲はすっごく激情型だなと思って。生きるの大変だっただろうな……と他人事のように思ったり(笑)」

――産休前の愛さんの楽曲の源は「激情」だったんですね。

「うん。やっぱり曲は『ああ、悲しい! 人生終わりだ! 死にたい!』くらいまで感情が動かないと出てこないですよね。感情が動いていない状態で作るものは『無』だと思う」

――先ほど産休前に「大塚愛から逃げたいと思っていた」とおっしゃっていましたが、その「逃げたい」「縛られたくない」という感情が起こす膨大なエネルギーが、制作に還元されていたのでしょうね。

「そうですね。逃げ場がなくて……自分にできることが曲を作ることしかなかったんですよね。だからお金に変えてやろうとしていたところはあるかな(笑)」

――はははは。筋金入りの大阪人スピリットですね(笑)。

「人生どん底というくらい悲しみに暮れている人には必ず『その悲しみを本にしてお金にしなさい』と言っていますね(笑)。悲しみが身体のなかにたまっていったら病気になっちゃうから、とにかく外に出さないと!」

――先日の野音の話になりますが、フルバンドはもちろん、ホーン隊、ストリングス、愛さんのグランドピアノによる弾き語りと、生演奏の音色がとても豊かでした。弾き語りは愛さんおひとりと、ストリングスを入れた編成の2パターンで披露なさっていましたね。

「弦を入れて弾き語りをする時は、セクションごとに主役を決めて、弦の動きが際立つピアノフレーズを考えたりしていますね。ハンドマイクやマイクスタンドで歌うとなにかパフォーマンスをしないといけないと思ってしまうけど、ピアノの弾き語りになると座っているし、ピアノを弾かなければいけないし、音楽だけに集中する環境になる。立って歌う時とはまた違う感覚ですね。プライベートの私を知っている人は、弾き語りの時がいちばん私らしいと言いますね。可愛さがまったくないところとか(笑)」

次のページ(娘とは)ひとりの人間との出会いだなと思っています。彼女は私にないものをいっぱい持っているんですよ
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