このふたつの新作について、ナカシマに話を聞いた。「デザイン」であることの大切さ、左右対称、「見る」こと、世界にひとつの海。彼らしいキーワードがコロコロと転がりながら心の輪郭を作っていく、そんな取材になった。
なお、現在発売中のJAPANには、このインタビューの完全版を掲載。このダイジェスト版では触れていない楽曲たちについて深く語ってもらっているので、そちらもぜひ読んでほしい。
インタビュー=天野史彬 撮影=Takako Noel
昔は「この一瞬の自分」についてのことって感覚だったんですよね。でも今は「これから」も含めた自分というか
──まず、8thミニアルバム『eyes』と8.5thミニアルバム『phenomenon』という2作に分かれた理由から教えていただけますか。
ミニアルバムにこだわってきたスタンスを崩したくなかったのはひとつあります。あと、リアルタイムは無理だとしても、できるだけ、できたものを気持ちが変わらないうちにみんなと共有したいので。今回は10曲できちゃったから、一気に出しちゃいたいなと。
──今まで、できたけど世に出さなかった曲はあるんですか?
いや、あまりなかったですね。5曲できたら、それを出す感じでした。
──今作の曲作りのナカシマさんのモードはどういったものでしたか?
『answer』では思いっ切り開けたものというか、お客さんとの関係性に着目したので、逆に自分の内側に向かっていこうと思ったのが大きかったです。エネルギーを反転させるというか。
──今のナカシマさんが「内側を向く」ってどういうことでしたか?
なんというか、昔は「この一瞬の自分」についてのことって感覚だったんですよね。でも今は「これから」も含めた自分というか。刹那的ではない、もうちょっと俯瞰している感じはあるのかなと思います。あと、前は一人称目線の曲が多かったのが、どんどんとナレーター目線になっていって。どれだけ内向きに戻っても、ふたつの視点から内側を見ているような感じでした。
──サウンド面で求めるモードはあったと思いますか?
あったとは思うけど、それがなんだったのか……。常に今までやってこなかったことをやりたい、という思いはあるんですよね。たとえば“空腹な動物のための”は、新しい扉を開いたら自ずとこうなった、という感じです。
──“空腹な動物のための”はかなりヘヴィで肉体的な感じがします。ライブがインスピレーションになっている部分はあると思いますか?
それはあると思います。ライブを想定して曲を作るという試みは今まであまりしたことがなくて。ライブでやるために楽曲が制限されるのもよくないし、楽曲にライブが縛られて気持ちよくできないのもよくないと思うので、今までは切り分けて考えていたんです。でも“空腹な動物のための”は「ライブでやったら絶対に気持ちいいだろうな」と思いながら作っていた曲なので、こういう肉体的なサウンドになっていったのかなと思う。
どう見るか、あるいは、どう解釈するか。それは自分の中で芸術と向き合ううえでのテーマだと思います
──『phenomenon』に収録されている“砂の王女”は『answer』のツアーでも披露されていましたね。
「先が見えることをしたい」という気持ちがあったんです。最初の頃はどう思ってもらいたいとも思っていなかったんですけどね。今は「このバンドはまだ成長していくんだろうな」という余白を感じてもらいたいという気持ちがある。あと、“砂の王女”は僕の中ではある種、原点に立ち返って作った曲なので。ファンタジーだし。こういう曲もこれからやっていきたい、という意思表示もあったと思います。
──特に『phenomenon』にファンタジー感のある楽曲たちが収録されていますよね。本作の制作期間は、ナカシマさんにとって原点的な曲たちがよく出てきていたということですね。
内側にはファンタジーがある、というか……変な言葉ですけど(笑)。内向きになって曲を作ると、ファンタジックな感じの曲ができるのかな。
──“シンメトリー”では《今度はもっとちゃんと君の目をみたい》と歌い、“空腹な動物のための”では《目を逸らさないで》とありますが、『eyes』というタイトルはどのようにして?
毎回、アルバムのタイトルは「こういう理由で」と説明できる感じではなくて、5曲並べて「これだな」と浮かび上がってくる感じなんですけど……『eyes』ってなんですかね?
──たとえば過去に“look at the sea”という曲もありましたけど、「目線がどこを向いているか」とか「何を見ているか」という点は、重要なポイントなのかなという気がします。
確かに。なんというか……どう見るか、あるいは、どう解釈するか。そういうことは、自分の中で芸術というものと向き合ううえでのテーマだと思います。芸術と向き合ううえで、「解釈する」ということ。それがいちばん大きなポイントなのかなと思う。そういう意味で『eyes』は観測者の立場という感じもします。8枚目と8.5枚目を対照的なもの、相反するものにしたいというのもあったんです。『eyes』は観測をする側として、『phenomenon』は観測される対象として定義づけていて。『phenomenon』はさらに内側に向いたものだと思うし、レイヤーとして『eyes』は手前にあって、『phenomenon』はもっと奥にある、そういうイメージかもしれないです。
──1曲目“五つ目の季節”はナカシマさんの「歳取ったなあ」という感覚から生まれていたということは以前伺いましたが、歳を重ねることについて考えるのは、要は「生きること」について考えることと同義だと思うんです。この曲を『eyes』の1曲目に配置したことで見えたことはありますか?
『eyes』という作品、もっと言うと「今のおいしくるメロンパンはこういう感じ」といういちばん核のモードを“五つ目の季節”を1曲目に置くことで言いたかったんだと思います。
──前回おっしゃっていた「どうにもならない」という感覚が前提にあり、それでも、サビでは諦めも含めた清々しさに辿り着く。この曲の感覚こそが、今のおいしくるメロンパンなんだということですね。
それは『eyes』にも『phenomenon』にも一貫してあるものだし、もっと言えば『theory』くらいから考え方として変わっていない部分かもしれないです。どうにもならないことに対して、考えたり、抗ったり、諦めたりする姿。それが美しい、というか。そういう美しさみたいなものを曲にしたいと思い続けている気がします。