──自身の生活の中で大翔さんが感じていることがテーマとなったのかもしれませんが、サウンドのスケール感と相まって、今の世の中が抱える問題とも直結している作詞だと感じました。昔の歌謡曲にある「泣きのメロディ」って、自分が今まで弾いてきたギター表現の中にある得意技でもあったので、これを絶対どこかで表現したいと思ってた
自分たちの生活の中にある小さな関わりは、大きな世界の縮図のような気もしていて。小さい世界での関わりの中で気づけることがあるのなら、それは大きい世界もいいほうに変えていける鍵になるんじゃないかって、そういうことは感じながら書いていましたね。
──“群青日記”についてもお聞きしたいです。これはドラマ『マイダイアリー』の挿入歌として書き下ろした曲で、J-POPシーンでもまっすぐに刺さるミドルバラードとなりました。
そうですね。僕の曲でサビを4回繰り返すのは初です(笑)。この挿入歌のオファーをいただく前から物語作品の中で自分の音楽が流れるということに対して、すごく憧れがありました。物語の中でその世界を広げていくものとして音楽ってすごく重要ですよね。責任重大だと思って取り組みました。ドラマの物語が2軸になっていて、ひとつは学生時代、もうひとつはそれを振り返る大人になった主人公たちのストーリーですが、僕が思いを寄せたのは大学時代の主人公たち。自分と同じ年齢の人たちがそれぞれに言葉にできない悩みを抱える中で、仲間の存在や打ち解けられる居場所があることの尊さを感じて、そこに寄り添う曲を書きたいと思いました。
──《ひとりは怖いよ》が《ひとりじゃないんだよ》と変化していきますね。
最初は自分の中にある葛藤を描いて、2番ではその葛藤の中での気づき、そして3番はその気づきを受けて次はどうなっていくかというのを書いていて。どこか日記っぽくて、自身の思いを吐露していく感じでした。ドラマの曲ではあるんですけど、すごく自分を表していると思います。
──あと、“大都会とアゲハ”が大翔さんの新機軸というか真骨頂というか、個人的に大好きな曲です。ラテンのリズムに和の情緒や節回しがミックスされて独特なグルーヴを生んでいるし、ルーツにヘヴィメタルを持つ大翔さんならではのギターフレーズが気持ちよく主張していて。しかもラップパートもあり、様々な要素が詰め込まれていながら、1曲としてとても気持ちよく成立している。
70年代の歌謡曲とラテンと、そこに自分のギターとビートを組み合わせたいという気持ちから作った曲です。昔の歌謡曲にある「泣きのメロディ」というのは、確かに自分が今まで弾いてきたギター表現の中にある得意技でもあったので、これを絶対どこかで表現したいというのもありました。
──歌詞はどうでしょう、“大都会とアゲハ”って大翔さん自身のことでもあるのかなと思ったんですけど。
今作は戦ってる人に向けた歌が多いかもしれないです。その中でも“大都会とアゲハ”は応援歌ですね。それは自分が戦い続けているからこそ書ける歌詞でもあるんですけど、アルバムタイトルの「Grow」という言葉も、成長がなければ戦い続けていくことはできないというか、それも今の自分に向けた言葉だったりします。だからもう全部、自分のことを歌っていると言っていいと思うんですけど、これを聴いた自分以外の人にも、何か心に育つものがあってほしいという思いもありますね。
──《夢見ずには いられないこの街で/晴れ晴れと 命輝かせてやる》という歌詞が非常に強く響きますよね。
そこはサウンドに背中を押されて書いた歌詞で、若干の演劇感があるかも(笑)。
──ギターを含めてこのサウンドだからこそ、この歌詞が書けたという?
それは絶対にあります。こういう曲をいっぱい作っていきたいですね。
音楽を作るひとりの人間として、誰かにとって「光の風」となるような音楽を作りたい
──大翔さんは、歌と同じくらいにギターのサウンドでもエモーションを表現するアーティストなので、曲やサウンドが言葉を連れてくる感じはどの曲にもありますよね。“mom”は、すごくシンプルなアコギの弾き語りだからこそ、こういう素直な大きな愛の楽曲になったと思うし。
これはまあ、そのまんま「mom」に向けた曲なんですけど、実は今、めちゃくちゃ反抗期で(笑)。
──そうなんだ(笑)。
つい自分の親に攻撃的になってしまうことがあって。自分の作詞の出発点は、自分が感じた痛みや苦しみであることが多いんですけど、自分が日頃感じている、この原点的なネガティブな感情はもしかしたら親によってもたらされているものなのかと思ってしまったりして、それで嫌になってしまう瞬間があったんですよね。
──それで遅れてきた反抗期状態に?
そうですね。でも過去のことを振り返れば、幸せそうな写真もいっぱい残ってるわけで、全然そんなことではなかったんだよな、愛されていた日々は絶対にあったんだよなっていうことに気づいて、とてもあたたかい気持ちになりました。“mom”はその瞬間を歌った歌です。だから、反抗期ではありつつも、実はもう脱却したのかもしれないですね。
──この曲が書けたということは、もう大丈夫ですよ。
そうですね。脱・反抗期だということで(笑)。
──それで、アルバムは“光の風になって”で終わるんですけれども、この曲には大翔さんの死生観さえも表れている気がします。
さっき“悲しみの空の果て”を「遺作に選びたい」という話をしましたが、この曲もそうですね。この“光の風になって”はとてもパーソナルな、自分が心の中で抱きしめている気持ちを曲に込めていて、ほんとに大切な曲です。この《光の風》というのは、すごくわかりやすく言えば「思い出」のことで、その風は、自分がこの世界から、この地球からいなくなったあとにも吹いているものなんじゃないかなと、きっと自分の足跡も「光の風」になって、ずっと残っているんじゃないかなと思えたんです。
──もし自分がこの世からいなくなったとしても、それで無になるというのではなく、作ってきた音楽は風となって、そこで生き続けるということですよね。自分がいなくなったあとにも、その音楽に初めて出会う人もいるのだろうと。それは今回、アルバム制作にほぼひとりで向き合う中で生まれてきた思考ですか? それとも人間としての経験値からその思考に至ったのでしょうか。
これはもう完全に、人間としての成長から生まれたもので、そうしたメッセージが今は自分の芯だったり根っこの部分にあるものだと感じています。音楽を作るひとりの人間として、誰かにとって「光の風」となるような音楽を作りたいという願いをこの曲に込めましたし、アルバムのどの曲にもその思いを込めています。数年前の自分だったら絶対に書けない歌詞で、「人との繋がり」を大切に思えるようになったからこそ、出てきた思考かもしれないですね。少し前までの自分は、自分だけの景色というか、郷愁にすがって他人のことを考える余裕がなかったのかもしれません。でもそれを乗り越えて「繋がり」を意識するようになれたのは、自分自身の成長だと思います。
──なぜそこに成長があったのだと思いますか?
それは恋かもしれないし、知り合えた人たちからの影響だったり、やっぱりライブで繋がった人たちとの経験もあると思います。その中で受け取ったあたたかさみたいなものが曲に反映されていて、自分にとってとても大切な曲になったし、自分の現在地を示している歌でもあると思います。
──アルバムリリース後にはワンマンツアーも控えていますね。今回のツアーではどんなライブをしていきたいですか?
今回、ライブの表現者として成長したいという視点からできた曲もいっぱいあって、今作から打ち込みのビートが増えたというのもあるし、ステージに上がってそれをどう表現したいかみたいなことに向き合ってできた曲もあります。その変化と成長を見せられるライブにしようと、今とても気合が入っているところです。