モグワイ @ EX THEATER ROPPONGI

All pics by Kazumichi Kokei
昨年イギリスBBCで放映された、原子力をテーマとしたドキュメンタリー『Atomic : Living in Dread and Promise』のサウンドトラックをリワークしたモグワイの最新作『アトミック』。今日の公演は、そのドキュメンタリーをスクリーンに上映するのに合わせてモグワイが『アトミック』を演奏するという、本ドキュメンタリーを体験する上でこの上はないだろうという贅沢なものとなった。

SEが全く流れない異様な雰囲気の中、会場が暗転したのは定刻を10分ほどまわった頃。静かにメンバーが入場し、映像が流れ始める。1曲目はもちろん、『アトミック』収録順どおりの“Ether”。そこからドキュメンタリーが進むのに合わせ、粛々と演奏が続けられていく。シンプルかつ厳かなスコアながら、細かいフレーズの変化と、ヒリついたギターが幾重にも張り巡らすレイヤーが、耳を捉えて離さない。しかし、今日の公演の主役は、モグワイではなかった。ステージ上のメンバーが照明を受けることなく、あくまでドキュメンタリー作品の劇伴演奏に徹していたのだ。さらに、映像によっては、数分間ほぼ演奏を止めることも数回あった。例えば、広島への原爆投下のシーン。バンドの良い演奏を聴かせること以上に、映像を際立て、引き立てることを何より優先しているのだろう。その後も、反核のデモ行進、チェルノブイリ、汚染された漁村、そして福島、次々と核を中心に据えた悲痛な歴史が振り返られていく。織り込まれるナレーションもまた、「あっという間に、このロボットは一線を越えるだろう。そこにあるのは生き物にとっての死」や「地球。これに代わるものがあるだろうか」といった、観る者一人一人に核の功罪に対する見地を問うような鋭利なもの。演奏、映像ともに受け手に感傷に浸る猶予さえ与えず、ひたすらにシリアスな現実を突き付け続けるのである。後半には、レントゲンやNMRなど医学や生化学分野での核の多大な貢献が描かれるのだが、その際でも、モグワイの演奏に光が差し込むことはない。さらには、ドキュメンタリー終盤のクライマックスにおいて初めてギターを激しくかき鳴らし、物語の最後まで音を添い遂げさせる中でさえ、その音像は微塵も救いや解放を感じさせることはなかった。核を描くとは、表現するとは、こういうことなのだ。そんな確信と、救い無き重厚なムードを残して、約70分の公演は幕を閉じた。

今さら何をと思われるだろうが、大事なことなので、改めて書く。モグワイとは、轟音である。轟音の発明家である。1950年代、ロックンロールはエレクトリック・ギターの活用によって大音量という武器を得た。それからおよそ40年。モグワイはその大音量を一段階上の次元へと導いた。爆音の前の静寂。エレクトリック・ギターが最も大きな音で轟く曲構成、アルバム構成を発明したのである。ライヴもまた然り。モグワイのライヴは基本的に、聴き手に最上の轟音を浴びせるために存在している。彼らのライヴは、例えば1時間ミニマルなアンビエントを奏でた後にそれを突然の轟音で切り裂いたり、はたまた端から轟音を放ちつつ終盤にさらに上の音圧を解放したりと、観る度に手法を変え決して聴き手を轟音に慣れさせない。慣れることができないので、モグワイの轟音はいつ聴いても初めて聴いたときと等しい、モグワイの轟音なのだ。脳髄を焼き尽くし、精神丸ごと生まれ直させるような轟音、あの轟音こそ、モグワイである。あまりに濃密な物語を演り遂げた今日の公演において、番外編的なアンコールなど行いようがないことは充分理解できる。本ドキュメンタリーが放つ強固な意味は胸に刺さった。バンドが本作に込める創意と熱意も伝わってきた。だが、この欲求ばかりはどうしようもない。5分、いや、1分でいいから、モグワイの轟音が聴きたかった。(長瀬昇)

〈SETLIST〉
01. Ether
02. Fat Man
03. Scram
04. Fat Man 2
05. Bitterness Centrifuge
06. U-235
07. Pripyat (no drums)
08. Weak Force
09. Pripyat
10. Little Boy
11. Roof
12. Are You a Dancer?
13. Tzar
14. Fat Man 3