モグワイ @ Zepp Tokyo

ライヴから半日以上が経過しても未だに耳鳴りが止まないほどの轟音の宴――そんな「モグワイらしさ」をモグワイ自身が堂々と貫徹した素晴らしいライヴだった。前回来日(と言っても今年の2月)の恵比寿リキッドルーム公演が新作『HARDCORE WILL NEVER DIE, BUT YOU WILL』を全曲再現するという特殊なコンセプト・ショウだったのに対し、今回のZEPP TOKYO公演は『HARDCORE WILL NEVER DIE, BUT YOU WILL』の楽曲を含みつつも、オールキャリアにまたがるセットリストが用意された通常営業のモグワイのライヴとなった。

リキッドルームのおよそ3倍のキャパをぎしっと埋めたこの日のZEPPのオーディエンスが期待していたのもまた、最新にして普遍のモグワイのライヴだったと思う。『HARDCORE WILL NEVER DIE, BUT YOU WILL』とはモグワイ史上最も「モグワイらしくない」メロディと洗練を得た新境地のアルバムでもあったわけだが、今回のZEPP公演はそんな、「モグワイらしくない」最新作を作った彼らがそれを「モグワイらしい」普遍性へと落としこんでいく様を目撃する場であったと言ってもいいだろう。

公演によって微妙にセットリストを変えてきた今回の来日ツアー中でも、この日のZEPP公演のセットが一番バランスが良く、モグワイのオールキャリアを集大成した内容になっていたのも印象的だ。モグワイのライヴとは突き詰めれば最後に「無我の境地」に辿りつくことを至上命題にした一種の儀式みたいなものだと思うのだが、無我に至るまでの道筋がいくつも選択でき、その道筋で得られるカタルシスの種類もこれまでになく多様化していたのがこの日のライヴの特徴だ。

事実、15年に及ぶキャリアの中でモグワイは様々な種類の轟音を編み出してきたわけで、最終的には頭がブッ飛んで思考外のエクスタシーに溺れることになるにしても、彼らのライヴが轟音サル的な単一刺激とはかけ離れた構造を持っていることは言うまでも無い。むしろそういう理性的な道筋があってなお最終的には「無」としか言いようがない境地にオーディエンスをブチ込んでいくのがモグワイの凄さで、この日のライヴは、そんなモグワイの「モグワイらしさ」をフルスケールで確認できたショウだったのだ。

オープニングの “White Noise”は『HARDCORE WILL NEVER DIE, BUT YOU WILL』中でも際立ってエレクトロでメロディアス、最初の一音から最後の一音までずっと一定した昂揚が続く聖歌のようなナンバー。その一方で続く“Ithica27-9”は静寂と爆音が天と地ほどのギャップを持って行き来するヘヴィなナンバーであり、そのまた次の“Friend of the Night”はポストモダンな理性を感じさせるアート・ロック調のナンバー、そしてスチュアートの線の細いヴォーカルが乗った繊細な揺らぎの“Cody”と、冒頭の4曲だけでもそれぞれに全く個性が異なっていることが分かる。

そして前半の最大のクライマックスとなったのが“Xmas Steps”だ。スチュアートがふたつのコードを執拗にくりかえす極限のミニマリズム→爆発→ポスト・ロック的解体→スピード・アップしながら再構築→そして再び爆発……とめまぐるしく意味を変遷させながら無我のゴールを目指すこの曲のパフォーマンスに、黄金と白銀のバックライトが激しく点滅する演出も最高の効果を与えている。

エイトビートでポップなリフに驚かされる“How To Be A Werewolf”、そして彼らが初めて王道のロックンロール&ブルースに踏み込んだ“San Pedro”と、中盤ではモグワイの新たな側面が次々の披露されていく。こういうモグワイらしくない道筋を辿るナンバーでも、最終的にはモグワイでしか味わえないカタルシスが降ってくるのがこの日のライヴも素晴らしさで、“San Pedro”のアウトロでは地鳴りのような大歓声が巻き起こる。

最終コーナーでは“Freak”、“Satan”といった鉄板中の鉄板のナンバーが容赦なく投下され、もうこの頃にはオーディエンスの大半が既に無我の向こう側を見出していたのではないか。エレクトロでニューウェイヴな本編ラストの“Mexican Grandprix”で一瞬現実に引き戻されるも、“Rano Pano”で始まり“Batcat”で終わったアンコールで、場内のエクスタシーは再び飽和状態を迎える。轟音が荒れ狂い、駆け巡った後に残されたがらんどうの自分の身体を引きづるように、少し呆然として会場を後にした。(粉川しの)
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