2017年初の「Hostess Club Weekender」の2日目、この日は新進気鋭のニューカマー2組と、ガレージ&ロックンロールのベテラン2組というラインナップ。開演直前に新木場スタジオコーストに到着すると、既に会場には多くのファンが詰めかけている。恐らく大半のお客さんは最初から最後まで、すべてのアクトを堪能したんじゃないだろうか。イベント自体へのロイヤリティが高く、誰のファンというよりもインディ・ロック、オルタナティヴ・ミュージックが好きで、常に新しい音との出会いを求めている、そういう熱心で感度の高いオーディエンスにとって恒例のイベントとして、すっかり定着しているのがこのHCWだ。
というわけでトップバッターは個人的にも大注目だったデンマークはコペンハーゲン出身の新星コミュニオンズ。デビュー・アルバム『ブルー』を引っさげての初来日だ。緊張もあったのか冒頭はかなり固く、しかも初っ端から肩ならしもせずハードなロック・ナンバーを立て続けにチャレンジしたものだから、グルーヴが楕円形というか角がある長方形で、ガックンバッタン四苦八苦しながら進む演奏にヒヤヒヤしたものの、中盤の “Come On, I’m Waiting”あたりからようやく弾け、波に乗り始める。このバンドには軽やかでナイーヴなネオアコ、ギタポの側面と、オアシス、ローゼズの系譜に連なる骨太グルーヴ・ロックの側面の両方があって、そのふたつが噛み合った時にマジックが生まれる。蒼く胸キュンなメロディと共にフワフワと浮上していくのを、堅固なグルーヴの土台で地上に引き戻そうとする、その綱引きが彼らの強みだし、80年代のギタポとも90年代のオアシスとも違う2010年代の彼らの新世代らしさなのだ。そういう意味でもキラキラ繊細な上物とがっつり硬派なリズム隊のコンビネーションで聴かせる後半の“It’s Like Air”などはばっちりだった。それにしても驚いたのがこのバンドの女子人気の高さ。インディ・ロックのバンドでここまでキャーキャー言われる人たちも久々だし、サイン会は長蛇の列。これって凄く健全な現象だと思うので、実力共にますます磨いていってほしい。
そして続いて登場したのはNYロングアイランド出身の兄弟デュオ、レモン・ツイッグス。こちらも待望の初来日公演だったわけだが、今回のHCW最大のサプライズは彼らだったんじゃないかと思うほど、もうとにかく最高!楽しすぎ!今回のバンドはブライアン(兄)、マイケル(弟)にキーボードとベースを加えた4人編成で、ブライアンとマイケルはギター&ボーカルとドラムを曲によって交代するというフォーメーション。オープニングの“I Wanna Prove to You”が鳴った瞬間に分かる。この人たちは予想以上に巧い。そこに荒削りとかローファイとかいうエクスキューズは一切なく、出音がポップ・ミュージックとして見事に完成されている。破格のポップ博覧アルバム『ドゥ・ハリウッド』はその内容の濃さゆえに、経験的にも技術的にも未熟だろう10代の彼らがライブで再現するのはハードルが高いと予測していたのだが、いやはや、余裕でハードルを飛び越えてきた。そして、ああこの人たちはデヴィッド・ボウイであり、トッド・ラングレン、ブライアン・ウィルソンであり、ウィングスのポール・マッカートニーであり、エア・サプライであり、同時にザ・フー(特に70年代)でもあったんだなあ、というのがライブ・パフォーマンスでの気づきで、ブライアン、マイケル共にステージを大股でのし歩き、打点高いキックをかまし、隙あらばハイジャンプを決める、そのエネルギッシュなアクションなんて殆どピート・タウンゼントみたいだった。また、プログレやフランク・ザッパのような大仰な構築性や、キッチュなグラム・サウンドやオペラのパロディ的歌唱といったものを、シアトリカルな仕掛けのように「見せる」センスも最高。曲調によって絵画的だったり、映画的だったりと役割を変えていく凝ったライティングの効果も秀逸で、トータル・アートを作り上げていた。いやはや、期待に違わぬ、いやそれ以上の恐るべき子供たちっぷりであった。脱帽。
そんなレモン・ツイッグスから続くリトル・バーリーへのバトン・リレーはなかなか興味深いものがあった。なにしろ両者共にプレイヤヴィリティが破格なのに対し、そのプレイヤヴィリティが発揮される方向性が全く真逆だからだ。ガレージ、サイケ、ブルース、プログレといった彼らのこれまでの足跡を濃縮し詰め込んだ新作『デス・エクスプレス』のリリース直後ということもあり、最新アンセム“I.5.C.A.”からラストの定番アンセム“I Can’t Wait”まで、今回のステージもまさに新作モードだった。『デス・エクスプレス』で際立った存在感を示していたドラムのヴァージル(あのスティーヴ・ハウのご子息です)がもはやバンマスに近い立ち位置にあり、バーリー(G&Vo)はそんなヴァージルが仕切るステージ上の「花形」として存分にギターを弾きまくるというのが、彼らのライブの最新フォーメーションだ。バーリーが率いるフリーランスの凄腕集団、というかつてのリトル・バーリーのバンドとしての「仮初め」感覚はもはやなく、がっちり噛み合った3ピースの「共同体」を強く感じたのが今回のステージで、それ故に演奏も猛烈タイトだ。直前のレモン・ツイッグスがあれもこれもと取り込み、おもちゃ箱をひっくり返したような拡散型のパフォーマンスだったのに対し、バーリーはあちこちに散らばったあれこれを全部ひっかき集めて収束させていく、そんな強い一点への吸引力を感じさせるパフォーマンス。かつての彼らのライブには、ジャムが楽しくなっちゃうと延々ジャムってる、みたいな緩さがあったけれど、今回はどの曲も終わるとなればスパッとズバッと終わる、そういう潔さが気持ちよかった。
そして本日のヘッドライナーはザ・キルズ。この、バーリーからキルズへの流れは凄くしっくりくるものだった。HCW2日目の後半2組が象徴していたのは共に「ロックンロールを続ける」ことの難しさと意義だったからだ。ジェイミーの怪我やアリソンのザ・デッド・ウェザーでの活動も挟むので、キルズはけっして多作なバンドではない。しかし2000年代前半から途切れずただひとつの主題と向き合い続けてきた彼女たちの、凄みが宿ったステージだった。最新作『アッシュ・アンド・アイズ』がロックンロールのコアにより肉薄したアルバムだったこともあり、パフォーマンス自体も芯を食う瞬間の連続、キルズの向き合い続けてきた主題がよりはっきりと浮かび上がるステージだ。新曲の“Heart Of A Dog”と約10年前のヒット曲“U R A Fever”が落差なく立て続けにプレイされ、彼女たちの不変のアティチュードを証明した冒頭でもそれは明らかだった。金属のように鋭利で、なめし革のように艶やかなギター。オープンコードの解放感と、ノイズにまみれていく鬱屈。アヴァンギャルドで、プリミティヴ。ショウの中で、そして各曲の中で、キルズは常にそうした両極を激しく行き来するロックンロールをやる。逆に言えば、その両極で区切られ、限られた空間の中でいかに自分たちらしさを見出していくのか、というアートを15年以上続けてきたのがキルズというバンドだ。ロックンロールは、とりわけ彼女たちがやるガレージ・ロックは、シンプルだからこそやり続けることが難しい。その困難な道を選んだ彼女たちのストイックな姿勢がそのまま激烈なテンションに直結したステージだったわけだが、曲間の彼女たちは意外とフレンドリーだ。クール・ビューティーの代名詞のようなアリソンの「ドウモアリガトウ…ゴジャイマス」と敬語での挨拶にキュンと来た男子も多かろうし、ときどき笑顔でキスを交わすアリソンとジェイミー(注:付き合っていません)のリラックスした姿も、HCWというインディ、オルタナの聖地イベントならではの光景だと思った。(粉川しの)