ということ以上の、詳しいセットリストとか演出内容とかは、全34公演のうちまだ半分も終わっていないツアーなのでまだ書けないが、とにかく、驚くくらい、むきだしですっぱだかなライブだった。と、僕は強く感じた。
スタンド席を360度使い、真後ろまでびっしりお客さんを入れていたせいもあるが、まずステージ・セット自体、もうゼロに等しいくらいシンプル。そのステージ上に立つのは、メンバー4人とキーボードの小林武史とコーラス、計6名のみ。映像等も、ないわけじゃないが、かなりシンプルで必要最小限。
つまり、構成や演出も込みでエンタテインするアリーナ・コンサートではなく、己の肉体でもって場を作り上げ、ひっぱっていくライブだった。日本を代表するポップ・モンスターとしてのステージ、というよりも、20年前に(そう、今年結成20周年だそうです)渋谷ラ・ママでキャリアをスタートさせた、叩き上げのロック・バンドとしてのステージ、そんな感じ。
って、ミスチルがそうなったのは、このツアーからじゃない。ちょっと前のツアーから、そういうシンプルなライブをやるバンドになっている。ただ、今回のこのツアーを目の当たりにして驚いたのは、とにかく、キラキラしているのだ。いきいきしているのだ。形容が幼稚すぎるな。ブライトなのだ。英語で書いてみたけどあんまり変わらなかった。
えー、つまり。シリアスな現実や、ろくでもないことになっている世の中や、己の重い部分などに、焦点を当てて音楽を作るべきではないと思った、そうではなく、光や愛を歌うべきだと思った。というのが、『SUPERMARKET FANTASY』の制作動機であり、実際にそういう作品になっていることは、ROCKIN’ON JAPANなどのインタビューからも明らかだが、簡単に言うと、ライブのモードもそうなっているのだ。しかも、すんごいでっかいレベルでそうなっているのだ。
いつまで経っても、どんなに多くを手に入れても、困ったり、迷ったり、悩んだり、途方に暮れたり、世の中に苦しんだり、自分にうんざりしたりし続けたまんま。そんなソングライター=桜井和寿が好きな人にとっては(自分がそうですが)、今回の『SUPERMARKET FANTASY』におけるこの変化は、何故今そうなったのかよくわかるし、とても正しいとも思うが、ちょっと寂しくもある。あるが、そんな奴にすら四の五の言わせないくらいの圧倒的なまばゆさを、今のミスチルは放っている。それを証明するライブだった。十数年前に大ヒットした代表曲を歌った時、本当に僕には、ステージ上の桜井の姿まで、十数年前のそれに見えた。
勢いに満ちていて、怖いもの知らずで、無鉄砲で自信に溢れていて、とんでもない才能と実行力ですべての夢を現実にしていくバンド。デビューして大ブレイクするまでの、つまり若かりし日のミスチルは、そんなバンドだった。もちろん、今はそんなバンドじゃない。ないにもかかわらず、僕の目には、今夜のミスチルは、そういうバンドに見えた。いや、経験と知識を経てきている分、その頃よりもさらに手に負えないバンドに見えた。(兵庫慎司)