ブルボンズ @ 渋谷屋根裏

ブルボンズ @ 渋谷屋根裏
ブルボンズ @ 渋谷屋根裏
JACKMAN RECORDS第一弾リリース作品『グリーンアルバム』のレコ発ライブ、渋谷屋根裏ワンマン。って、渋谷の屋根裏って相当入るぞ、大丈夫なのか、下北沢屋根裏だったら安心なのに、などと、正直ちょっと心配していたんだけど、しっかり埋まりました。失礼しました。

まず、オープニング・ゲストのTHE抱きしめるズが、そのジャンクかつ好き放題なロックンロールで場をあっため……「あっため」じゃないな、「ひっかき回し」だな、えーと、さんざんひっかき回す。続いて、ブルボンズと親交の深いバンド、THE ZIPPERZのボーカリスト、ラッキー・クッキー・センヌッキーが、上半身裸でWWEのプロレスラーのような身体を誇示しながら、フロアをねり歩きながら、そして口にペットボトルの水を含んでグレート・ムタのように天井へ向けて噴射しながら、前説というか前アオリのような役割をつとめ(水を浴びて大変に迷惑でしたがしゃべりはおもしろかった。笑いました)、さらに場がどうしようもなくなったところで、ブルボンズ登場。

実に、ずっしりとした手ごたえのあるライブだった。『グリーンアルバム』収録の5曲、その前の月に所属レーベルNO WONDER! RECORDSから出たシングル『SINGLE SINGLE SINGLE』の3曲、その他“ロックンロール以外は全部嘘”などの過去の代表曲や、新曲や、高田渡“自衛隊に入ろう”のカバーなどなど、2度のアンコールを合わせて20曲以上、約1時間半。いや、もっとかも。

ブログにもちょっと書いたけど、いろいろむちゃはやっていた。ハットリブルボン(ds)以外の3人は、フロアに乱入するシーンがそれぞれあったし、“自衛隊に入ろう”ではタクミブルボン(vo&g)は迷彩服&迷彩キャップ姿でフロアを行進したし、フロアの後ろまで行ったなあと思ったら天井に上がっていって、何やってんだろうと思ったらバスケットボールを持って降りてきて大笑いしたし(開場前に隠しておいたらしい)、後半のMCでは「ここ、ライブハウスが本当のシーンなんだ、俺はライブハウスで働いてるからわかるんだ、テレビや雑誌が作ってるシーンなんか嘘なんだ」という挑発的なMCをするし(他のバンドだったら別にいいけど、音楽雑誌の会社のウェブサイトと関わっているバンドの発言として考えると、結構リスキーだと思う)。

ただ、これもブログに書いたけど、そんなふうにむちゃだから、手ごたえがあったんじゃない。ただ単に、ロックンロール・バンドとしての基礎体力が高いから、手ごたえがあったし、耳ごたえがあったし、よかったし、おもしろかったのだ。
とにかく演奏がタイト。特にリズム隊の2人、どんなに激しいアクションのシーンになっても、グルーヴがずれないしブレない、8ビート・ミュージックの理想みたいなプレイ。
あと、タクミブルボンのかすれてかん高いボーカル、とにかく声が耳にひっかかるし、歌詞がはっきりと飛びこんでくる。

ブルボンズはパンク・バンドだが、いわゆるGREEN DAY・エピタフ以降というか、AIR JAM以降の、メロコアとかエモのタイプのパンクではない。それよりも前の時代の、オリジナル・パンクと、あと80年代の日本のパンクに近いスタイルだ。プラス、サイコビリーもちょっと入ってるかな。
つまり、ルーツをさかのぼると根っこにはブルースがある、そういうパンクです。
ってことは、新しさはないし、オーソドックスすぎるっちゃあオーソドックスすぎる。しかし、それを、演奏力と表現力で、力ずくで今の時代の音に生まれ変わらせている感じだった。堪能しました。


前にブログにも書いたことがあるが、ブルボンズの音楽って悲しい。「哀しい」でもいいかもしれない。威勢のいいことを歌っていても、怒っていても、憤っていても、常に背中に悲しみや哀愁がべったりとはりついている感覚がある。
それは、根っこにブルースがあるから悲しいのかもしれないし、怒ったり憤ったりすることの無力感と、でも怒らずにはいられないことの徒労感からくる、哀しさなのかもしれない。
と、思っていたんだけど、今日、ライブを観ていて、もうひとつ思い当たった。

ブルボンズの歌って、タイトルかサビ、どっちかが「結論」であることが、とても多いのだ。
「奴らは正しさを盾にする 僕らの涙に名前などない」と歌う“グリーン”然り。「1.2.3.4 生きていているって言え ロックスター」と歌う“ロックンロールスター”然り。“アタマガオカシイ”と “ロックンロール以外は全部嘘”は、タイトルがいきなり結論のパターンだ。つまり、結論を叩きつけてから始まるロックンロールなのだ。
で、その結論をたたきつけたあと、なぜその結論にたどり着いたのか、歌の中で描写はするけど、説明や、解説や、言い訳はしないのだ。

結論をたたきつける。言い訳はしない。というのは、つまり、言い切ることによるリスクを引き受けるということだ。否定されるかもしれない。誤解されるかもしれない。笑われるかもしれない。バカにされるかもしれない。でも、それは全部引き受ける。だから悲しいし、哀しいのだと思う。

こういうのって、音楽とか映画とか小説とかに限らず、日常生活レベルでもあるでしょ。
例えば。あなたが友人に、「そういえばさあ、こないだ会った時、引っ越すって言ってたよね。もう引っ越したの?」ってきいたとしましょう。
そしたら、「いや、あの、まずネットで検索してみたんだけど――」とか、「それで、高円寺から吉祥寺の間の不動産屋を回ってみたら――」とか、「家賃は8万円以内はなんとか死守したいところなんだけど――」とか延々しゃべられて、「ああああもういいから引っ越したのか引っ越してないのかだけさっさと言えよおおおお!」みたいな経験、ないですか? 
あれと同じです。

このたとえ、失敗した気がする。うん。それもかなり大失敗。でも、もうひっこみがつかないので続けます。

つまり、ああいうのって、なんでさっさと結論を言わないで、延々と説明したり言い訳したり補足したりするのかというと、否定されるのが怖いからです。あるいは、誤解されたり、自分の本意ではない捉えられ方をされたりするのが怖いからです。だから、先に言い訳しておきたくなるのです。
でも、言い訳すればするほど、言葉を足せば足すほど、逆にどんどん伝わらなくなっていくし、そもそもほんとに言いたかったことが何だったか、言う方も、きく方も、わからなくなってしまったりする。そういうものだ。
自分も、とても身に覚えがあるので、よけいそう思う。
つまり、そういうことをしないし、しないことのリスクをすべて背負うブルボンズは、だから悲しいし、哀しいし、そして、その悲しさと哀しさから決して逃げない、という話です。
つまり、潔いし、正しいという話です。

あとひとつだけ。ギターに留まらず、歌ったりハープ吹いたり暴れたり大忙しだったブンブンブルボン(g&vo)。
二度目のアンコールに応えてステージに出てきて、タクミブルボンが「もう1曲やります」って言ってギターを構えてドラムを振り返ったんだけど、始まらない。機材トラブルで、ブンブンブルボンのギターの音が出ないのだ。ブンブンブルボン、ギターやアンプをいじってみたけど、うんともすんともいわない。そしたらですね。「なくていいよな」って、ギターを置いたのです。で、マイクを持って、ギターはタクミブルボンの1本にまかせて、最後までうわあって叫んだり歌ったりして、1曲やりきったのです。

これ、ほんとに「偉い!」と思った。ギターを直してちゃんと演奏することよりも、あったまっている場の空気をさまさないために、すぐに曲に突入することを優先したあの判断、普通、ミュージシャンってできないものなのだ。
「そんなのもういいからすぐやれよ」っていう局面で、延々セッティングを直しているうちに空気がさめちゃった、みたいな現場を、僕は何度も何度も目撃したことがある。だからこの時も、「ああこれ時間かかりそうだなあ、さめちゃうなあ」と思っていたら、彼はギターを置いたのだった。
びっくりした。で、ほんと、「わかってるなあ」と思った。

『グリーンアルバム』、絶賛発売中です。当サイト、JACKMAN RECORDSのページ内、ブルボンズのコーナーで試聴もできます。ぜひ。(兵庫慎司)
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