ワン・デイ・アズ・ア・ライオン@代官山UNIT

ワン・デイ・アズ・ア・ライオン@代官山UNIT
ワン・デイ・アズ・ア・ライオン@代官山UNIT - pics by Wataru Umeda pics by Wataru Umeda
フジ・ロックやサマーソニックといったフェス来日にくっつけて、自分達の単独のショウを敢行するバンドは少なくない。しかしフェス終了後1週間も日本に滞在し続け、全国ツアーをするようなバンドはそう多くはない。しかも売り込み中の新人バンドならまだしも、ザック・デ・ラ・ロッチャのような人がそれをやってしまうというのは本当に異例中の異例な出来事だと思うのだ。しかもしかもフジ2日目のホワイトステージをパンパンに埋めた挙句入場規制すら招いたザックの新バンド、ワン・デイ・アズ・ア・ライオンが数百人クラスのクラブ・サーキットで東名阪を回るなんて、ミラクルとしか言いようがないんじゃないだろうか。

もちろんこの日の代官山UNITはソールドアウトの超満員。上手から下手に向かって5~6歩で移動出来てしまうほどの極小ステージ上に、ザックが、そしてジョン・セオドアが登場するのである。一体何がどうなってしまうのか。明らか過ぎる未知の体験ゾーンを前にして異様な熱気がフロアに充満し、それがいよいよ弾け飛びそうになった瞬間、ついに彼らがステージに姿を現した。

フジのステージ同様にライブにおけるワン・デイ・アズ・ア・ライオンは3人編成である。ボーカル(と時折キーボード&エフェクターも操る)にザック、ドラムスにジョン・セオドア、そしてサポート・キーボーディストとして変態ノイズ集団、ロカストのジョーイ・カラムがいる。アット・ザ・ドライブ・イン時代からジョン・セオドアとは交流のあるジョーイだけに納得の布陣だ。

そう、言うまでもなくワン・デイ・アズ・ア・ライオンにはギターがいないのだ。この事実が今夜のショウに、彼らのアイデンティティに大きな意味を与えていた。

開演は20分遅れで終演は20時ジャスト。つまり賞味40分のパフォーマンスで、2年前にリリースされたEP『ワン・デイ・アズ・ア・ライオン』からの5曲に加えて新曲が3曲という構成。ハイハットの連打で幕開けた“Ocean View”から、超ミニマムかつ超強力な最終曲“One Day As A Lion”に至るまで、興味深いことにショウのテンションは常に一定だった。テンションが上がらないのではない。延々と異様なテンションがキープされ続ける異様なライブだったのだ。

恐らくこれがギターレスに起因する彼ら独自の構造だと思う。ロックの文体、ロックのドラマツルギーを最もヴィヴィッドに体現するギターの不在は、彼らのパフォーマンスから起承転結を奪い、代わりに最初の一音が起動した瞬間に沸点に到達するという全く新しい構造を与えていたのだ。トム・モレロのギターとザックのボーカルの二輪走行体だったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのそれと比較すると、ワン・デイ・アズ・ア・ライオンの特異性はさらに際立つのではないか。

ジョーイのキーボードが便宜上ギター・リフを代替しているのだが、基本的に反復運動に特化したそれは物語を描くものではない。むしろジョーイのキーボードがセオドアのドラムス以上にリズムを刻み、セオドアのドラムスはリズムを刻む以上のオリジナリティを爆発させてザックのラップと絡み、まるでドラムスとボーカルによるジャム・セッションのような様相を呈していく。

時折ディレイをかけたりするものの、ほとんどが素の声でもって言葉を鋭く深く撃ち込むことに注力したザックのボーカルは、定型文的なロックのドラマツルギーをとっぱらったこの3ピースだからこそ未だかつてないメッセージ強度と調節性を持ち得たとも言えるだろう。クライマックスは“Last Letter”、“Wild International”の2連発。怪鳥のごとき高音を震わせるザックと地底ドリルのようなヘヴィネスで突進するセオドアのドラムスが、磁場を天と地に無理やり引き裂くようにぶつかり合っていく。

新曲“Swampy”終りで「ありがとーございます!」とザック。彼の日本語MCって初めて聞いたくらいのレアさだと思うのだけれど、最後も“One Day As A Lion”のノイズアウトロの中で「ありがとーございます!」と再度絶叫してステージを降りたザックなのであった。あらゆる意味で、あまりにもレアな一夜だったと思う。(粉川しの)
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