シャルロット・ゲンズブール @ 東京国際フォーラム ホールA

シャルロット・ゲンズブール @ 東京国際フォーラム ホールA
シャルロット・ゲンズブール @ 東京国際フォーラム ホールA
シャルロット・ゲンズブール @ 東京国際フォーラム ホールA
シャルロット・ゲンズブール @ 東京国際フォーラム ホールA - pics by Kazumichi Kokeipics by Kazumichi Kokei
シャルロット・ゲンズブール、初の来日公演である。女優としての来日はこれまであったが、ミュージシャンとしてライブを行うのはこれが初めてである。というか、そもそも「シャルロットが目の前で歌う」ということは、ライブを行ってこなかった彼女にとって初めてのことであって、ということは、ワールド・ツアーが組まれた今年は世界中の人々にとって初めて「シャルロットが目の前で歌う」様を体験した、ということなのであった。そんなツアーも、今夜の東京と火曜日26日の大阪IMPホールで終了なのである。国際フォーラム ホールAの雰囲気も、どこかぞわぞわしたものだったのもむべなるかなである。

たとえば、ジョンといえばレノンのことであって、ポールといえばマッカートニーのことであるのは、ビートルズが登場して以降、世界標準の了解事項である。という意味において、セルジュといえばゲンズブールのことであり、バーキンといえばジェーンのことであり、シャルロットといえばそれはもう、このシャルロットのことであるのも同様に当然だろう。もちろん、そんなことはとてつもなく凄いことである。そして、これから現れるのは、そのような人物なのである。

ジャクソン5の「I Want You Back」が鳴り止んで、ステージにバンドが登場。そして、シャルロットがそこに。かあああああああっこいい!!!!!! すらりとした足にはぴったりとフィットしたパンツ、トップはインナーに白いタンクトップで、その上にはおそらくレザーのシャツをさらっと羽織っている。ただそれだけなのに、かあああああっこいい!!!!!!! もういちど言うけど、かああああああっこいい!!!!!!!

いや、なにも彼女がいちいちポージングをきめて、客席に向けてなにがしかのアピールを繰り返していたとか、そういうことではない。というかむしろ、彼女の立ち居振る舞いはいたって自然でそっけなく、あっさりとしたものなのである。ゆったりとマイクをとり、あるいはしずかにドラム・スティックを振りおろし、髪をかきあげる、その行為には微塵も余計なものはなかった。なのに、それがいちいち、かああああっこいい!のである。

歌にしてもそうである。どこにも無理なテンションをかけない、しかしながら、その歌はしっかりと、届くべきわれわれにきっちりと一音一音届くのだ。

もちろん、バックをつとめているのがベックのツアー・バンドであるということも大きいだろう。音楽的背景を丁寧に描き出すその演奏は、それだけでお金をじゃんじゃん払う価値がある。あるのだけど、それをまとめているのがまぎれもなく、この「休み休みしか音楽活動をしていなくて、このツアーがほとんど初めてのパフォーマンス」なシャルロットなことがかえってまた凄いのである。

とても阿呆な言い回しで申し訳ないのだけど、どうしてこのようなことが成立するのかと言えば、ただモノが違うとしか言いようがないのだ。これがセレブリティというやつか。とか思ったのだけど、そうではないだろう。あえていうなら、シャルロットとは、ポップ・カルチャーの生んだ王族、だ。古来からの血筋や言い伝えに因る家柄、既得権益を守り続ける縁故とか、そういうものではなく、「われわれが愛し、われわれが生み出したポップ・カルチャー」において輝かしい成果を上げたファミリーの一員、ということだ。われわれの世代が生んだ、われわれの世代による王族なのである。その王族が成してきた優雅なる抵抗の環境が、彼女をこんなにもかああああっこよくしているのである。もっと言ってしまえば、だから、このかああああっこよさは、たとえばファッション誌が憧れをもって彼女を見つめる、その視線の延長にはないもの、なのだ。

もちろん、それはある人々にとっては悲しいことだけど、素晴らしいことである。だって、シャルロットはわれわれのポップ・カルチャーなのだから。残念だろうけど、バーキンのバッグを持つことと、シャルロットとの間には、何の関係もないのだよ。

火曜日の大阪公演もあるので曲目は控えさせてもらったが、最新作『IRM』を中心に、父セルジュ・ゲンズブールのカバーも演りました。(宮嵜広司)
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