トム・ヴァーレイン @ 下北沢GARDEN

下北沢GARDENのフロアは、開演前からぴんと張り詰めた空気に覆われていた。場内には4~5列分の椅子席が用意され、その周りをぐるりと取り囲むようにスタンディング・ゾーンが広がっている。ステージ上には椅子が2つぽつんと置かれていて、それ以外の機材や楽器はいっさい見当たらない。そう、この日の開演前の会場にはこれからロックのライブ・ショウが始まります!的なざわついた雰囲気はなく、SEのピアノ・コンチェルトとも相まってまるで前衛劇の幕間のような、シアトリカルなポエテリー・リーディングの転換のようなテンションが満ちている。

トム・ヴァーレインの久々のソロ来日公演である。聞けば、彼がソロとして日本の地を踏むのは実に20年ぶりのことだという。70年代NYパンクの異端、そしてニューウェイヴの鬼才として伝説化した存在であるテレヴィジョンのフロントマン、トム・ヴァーレイン。今回の来日はソロ・キャリアにおける長年の盟友、ギタリストのジミー・リップとの2人での弾き語りステージである。

開演時刻からおよそ30分遅れで、ステージに黒づくめの2人が現れる。トム・ヴァーレイン(御年61歳)は『マーキー・ムーン』のジャケ写のあの人が、『トム・ヴァーレイン』のジャケ写のあの人が、一切贅肉を付けずにそのまま年と皺を重ねて白髪混じりになった感じ。虚空すら射るような眼光の鋭さは健在だ。ハットの下にたっぷり髭を蓄えたジミー・リップと並ぶと猛烈に渋い。いかにもニューヨークの初老のインテリ2人組といった佇まいである。おもむろにそれぞれ手にしたアコースティック・ギターのチューニングが始まる。そしてチューニングからシームレスに1曲目が始まる。トムの足元には彼自身が「ヒミツノ、ホンデス」と日本語で紹介していた大版のノートが開いて置いてある。どうやら1ページごとに今日演るナンバーの歌詞が綴られているらしい。1曲終わるごとにその「秘密の本」のページをぱらぱらとランダムにめくり、次の曲をセレクトしているようだった。

2曲目はソロ・デビュー・アルバム『トム・ヴァーレイン』からのナンバー、“Souvenir From A Dream”だ。キーボードがフィーチャーされたオリジナルをアコギ2本でどう再現するのか……と、注目していたのだが、ミュートしまくったギターがまるでポロポロこぼれ落ちるように音の粒をはじき出し、超アブストラクトなアレンジに変貌を遂げている。トムとジミー・リップのアコースティック・ギターの所作は全く個性が違っていて、ジミーは流石の手練っぷり。ギター・リフとリズム全般を請け負い、的確に曲を進行させていくジミーに対し、トムのそれはまるで「歌」だ。しかも歌は歌でも、トムのヘロヘロと不可測な足取りで彷徨う歌声同様に、予測不能なアレンジと不安定な音程で紡がれる超アヴァンギャルドなプレイだ。

ショウの前半、ステージ前方で2人の外国のお客さんがおしゃべりをしていて、そのしゃべり声がかなりうるさかったのだが、途中でトムが彼らに向かって「シャラップ!しゃべりたいなら外でしゃべってくれないか」といらだった様子でぴしゃっと言い、一瞬場内が凍りつく場面もあった。しかしそう言い放った直後にトムはニコッと笑い、そのおしゃべり2人組に向かって無言でサムズアップ。くーっ!めちゃくちゃ格好良い!

そして始まったのが“The Earth Is In The Sky”だ。この日のショウはトムの現時点でのソロ最新作『ソングス・アンド・アザー・シングス』からのナンバーが中心だった。テレヴィジョンのナンバーはやはりアコギ2本での再現には無理があるのかもしれない。代わりに、アコギ2本のアンサンブルの可能性が『ソングス・アンド・アザー・シングス』を土台として幾重にも試されていく。

まるで『ソングス・アンド・アザー・シングス』がかのスリル・ジョッキーからリリースされた所以を証明するかのようなポスト・ロック風の隙間を開けたアルペジオ。ジミーの手腕が冴え渡るモダン・ジャズ。ジプシー・ライクなスパニッシュ・ギターのアレンジを効かせて哀愁をまき散らす“Orbit”。開放弦の高揚をいかんなく響かせるトラディショナルなフォーク・サウンドもあれば、激渋ブルーズを渦巻き状に重ねていくナンバーもあれば、犬の鳴き声を模した効果音を巧みに繰り出すトリッキーなプレイもある。それら全てに共通していたのは、それが徹頭徹尾「シティ・ミュージック」だったということだろう。フォークをやってもブルースをやっても(この年頃のベテランにありがちな)バック・トゥ・ルーツな土臭さに転ぶことはなく、常にモダンな都市のサウンドトラックのように機能していたということだ。

中盤に差し掛かったあたりでついにテレヴィジョンのナンバー、“Prove It”が披露される。『マーキームーン』の中でも特にファニーで陽性なナンバーだが、ここでのパフォーマンスも今までで最も穏やかでジョイフルな瞬間になる。しかし、そこから一転してこの日最大のクライマックスを記録したのが続く“Nice Actress”だ。不協和音のさざめき中から徐々にキラリと光る刃の存在が明らかになってくる感じ。最後には四方八方から猛り狂ったギターに襲いかかられ、めった刺しにされるような感覚に陥る。喩えるならば、『レット・イット・カム・ダウン』期のスピリチュアライズドの音圧と激震とカタルシスをアコギ2本で再現してしまったような、信じがたいヘヴィ・グルーヴ、ブルース・サイケデリックだったのだ。ほんと、腰が抜けるかと思った。

本編ラストはこれまた待望の“Kingdom Come”。そしてアンコールを飾ったのは『ワーズ・フロム・ザ・フロント』からの表題曲“Words From The Front”。アコギのインプロの応酬とトムの呟きがエンドレスで繋がれていくおよそ10分の長大アレンジで、余韻たっぷりのエンドロールとなった。

生けるロックンロール・レジェンドを目撃する気満々で向かったこの日のライブだったが、蓋を開けてみればそこに待ち構えていたのはそれ以上の純音楽的興奮だった。アコースティック・ギターの可能性のアグレッシヴな追求と、それを牽引するトム・ヴァーレインの不変の知性、そして少量のニヒリズムの混ざったモダン・ニューヨーカーの矜持。あまりにも濃密な2時間のトリップだった。(粉川しの)