《なぜATP(オール・トゥモローズ・パーティーズ)ではなく I’ll Be Your Mirrorを日本に持ってきたのか…。/もちろん、ATPはいずれもっていきたいと思うが、このイベントはメインコースたるATPの前菜にあたるものと言えます。》《ATPはいいタイミングさえ見つかれば、すぐにでも持ってくる用意はできています。日本は我々にとって特別な場所であり、実現出来るよう最善を尽くしたいと思います。》
会場に入って最初に手渡された小冊子型のプログラムには、ATP創始者バリー・ホーガンのそんな挨拶が寄せられている。スポンサーに頼らないオーガナイザー/アーティスト主導型のインディペンデントな音楽フェスとして1999年に英国で立ち上げられた(2000年から開催)ATPは、当然のように日本での開催も多くのファンに望まれ続けてきた経緯があり、今回めでたくATPの試金石的企画、或いは試運転企画としての、I’ll Be Your Mirrorの開催に至ったわけである。
このIBYM、ホーガンのいうところの前菜とかこちらも試金石とか試運転とか書いているが、れっきとしたATPの新シリーズ・イベントであり、今回の東京における第1回開催を皮切りに、ロンドンや米東海岸での開催も予定されているそうだ。そもそも、良く知られるように“オール・トゥモローズ・パーティーズ”とはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのシングル曲に因んだもので、そのB面曲にあたる“アイル・ビー・ユア・ミラー”が今回のイベント名に使われているのも気が利いている。
小冊子プログラムを開くと、まず参加者に向けての注意事項《THE RULES》が目に飛び込んでくる。《親戚のおばさんの家にいるように会場に接してください。》《マジでロクデナシになるなって事です。》この簡潔でポップな語り口が素晴らしい。細々とした注意事項を並べ立てるのではなく、行間から参加者の自主的な判断と協力を促すスタンスを読み取らせるあたりに、ATPの流れをくむ精神と理念が反映されている。会場では2つのライブ・スペース(ホールのSTAGE 1と屋外テントのSTAGE 2)、様々な映画を上映するコーナー、そしてスタジオコーストのプール施設を開放してのDJスペースもあり、来場者たちはノイジーでアヴァンギャルドなスタイルを多く取り入れているこれまたATP直系の企画を、終始和やかな空気の中で楽しんでいた。それでは以下、出演アクトの様子を駆け足で振り返ってみたい。
■ BOREDOMS (STAGE 1)
6組のドラム・セットが環状に並べられ、真上から見た様子をスクリーンに投射しながら披露されたボアダムスのステージが、いきなりオーディエンスの度肝を抜いた。超民族的なトライバル・ビートがノンストップで叩き付けられ、並べられたドラム・セットの中央でEYEが指揮者ともダンサーともつかない叫びながらの激しいアクションを見せる。EYEの身振りに応じてサウンドにエフェクトがかけられたり、マイクのON/OFFが切り替えられたりするのだが、これは彼の足元にある台座がセンサーになっていて体の動きを感知しているのだった。聴覚的にも視覚的にも相変わらず野心と独創性に満ち溢れた、素晴らしいパフォーマンスだった。
■ BORIS (STAGE 1)
Atsuo(Dr./Vo.)が背負う巨大な銅鑼が目につく、ハードコアにして美しい轟音とキャッチーな歌心を堂々披露していった3ピース・バンドのBORIS。ボアダムスで会場内に篭った熱気を吸い取ってくれるような音で心地よい。張り上げるわけでもないのに大音量のバンド・サウンドをくぐり抜けてくる歌声が見事で、バンドのシルエットに強弱をつけながら浮き立たせるようなライティングも素晴らしかった。
■ KEIJI HAINO (STAGE 2)
その音に触れた瞬間に「呼んでくれてありがとう/出演してくれてありがとう」という感謝の念が飛び出してしまうほどだった灰野敬二。初っ端から大音量のノイズ・フリークアウトで期待に応えてくれた。一転して今度は三味線を抱えてのジャパニーズ・フリーク・フォークというか浪曲ハードコアというか。入場規制の行列をくぐり抜けてテント内に辿り着いた瞬間、僕の中でこの日の四字熟語が確定した。「耳栓必要」である。長髪を振り乱しながらのフィードバック・ジェットコースターの先に、最後には儚くも美しいメロディが余韻を残していったのであった。
■ AUTOLUX (STAGE 1)
統制されたバンド・サウンドでノイジーな残響音を綻ばせながら転がっていったのは、米国の3ピース、オートラックスであった。エキサイティングなアンサンブルと透徹としたサウンド、ユニークなリズム、そして美しい歌は、どこか往年のクラウト・ロックやレディオヘッドを彷彿とさせるものでもある。リード・ボーカルを交代しながら進められるパフォーマンスも印象的だった彼らは、このIBYMでのステージが初の来日パフォーマンスとなった。
■ ENVY (STAGE 2)
ダンサブルでキャッチーなハイブリッド・チューンからヘヴィネスと繊細さを併せ持つ楽曲まで、懐の深いサウンド哲学と耳に馴染むメロディを全開にしてファンの喝采を浴びていたENVY。ノイズの「重さ成分」の需要に応えるという意味では、全出演アクトの中でも随一の活躍ぶりだったと思う。チケットのソールド・アウト/当日券販売なしという盛況ぶりに至った今回のIBYMを通して、この「音の需要」というものは今後の音楽産業を考えるための重要なキーワードだと改めて感じた。
■ FUCK BUTTONS (STAGE 1)
英ブリストル出身のファック・ボタンズは、同郷のポーティスヘッドがATPに招いたこともある2人組だ。機材を挟み込むように左右から向き合ったポジションについた2人は、暴力的にギラギラと轟くエレクトロ・ダンス・ミュージックを披露していった。左右のスピーカーに大きくパンを振ってみせたり、生ドラムや生ボーカルをサンプリングしてループさせるライブ感に溢れたパフォーマンスを見せてゆく。00年代フレンチ・スタイルのエレクトロではなく、それすらもひとつの素材にしてノイジーなサウンド・デザインの中に取り込んでゆくという感触が新しい。熱狂的でありながら、奥深さとアート性を宿らせるステージングであった。
■ MELT-BANANA
まったく衰えないどころか、ブラストコアもインダストリアルも呑み込んだ凄まじいノイズとコンビネーションでオーディエンスを飛ばし続けていたメルバナ。Yakoの張りのあるボーカルも極めてキュートだ。夜間の近隣への配慮なのかアーティスト側の希望なのか、入場規制とともにテントの入り口が閉め切られていたが、小バコ・サイズのステージだったことも盛り上がりに拍車をかけていた。それにしても灰野敬二といいメルバナといい、「日本にATPの理念を持ち込むなら、つまりこうである」というブッキングの姿勢と、それに見事応えるパフォーマンスが素晴らしい。ATP、IBYM上陸とは、特定の海外アーティストではなく、理念の上陸を指すからである。
■ DIRTY THREE
バイオリン、ギター、ドラムスという編成のメルボルン出身のバンド。フロアタムを多用し、アイリッシュやブリティッシュのトラッド、フォルクローレ、フラメンコまでを見渡すオージーらしいクロスカルチュラルなメロディとサウンドで酔わせ、ときに熱くさせる。それは歴史にない、自分たちの「心の拠り所」たるルーツ・ミュージックの創造であった。情感溢れる楽曲が次々に繰り出されるが、バイオリン奏者のウォーレンが演奏しながら足を高く蹴り上げたり、通訳を介してジョークを振りまくユーモアがまた最高であった。ここからGY!BEという流れも美しい。
■ GODSPEED YOU! BLACK EMPEROR
《同郷のラッシュと引き合いに出されることが多い、カナダ出身のパワー・トリオ》とは、小冊子プログラムに記載されていたプロフィールである。その後は延々と、サザン/ハード・ロックのカルト・バンド= ブラック・オーク・アーカンソーのバイオが丸パクリされている。ふざけんなこら。ともかく、記念すべき第1回目からATPに出演し、昨年末のUK開催ではキュレーターも務め、何よりも同名の柳町光男監督による暴走族ドキュメンタリー映画をバンド名にしたGY!BEを今回のヘッドライナーに据えたことが、とても意義深く、またバンドやファンへの理解と愛に満ちていると思える。スクリーンに「HOPE」の文字が踊ってスタートした彼らのパフォーマンスは、 徹頭徹尾GY!BEというものだった。あの大所帯バンドによる重厚なアンサンブルの、ひたすら心の彼岸を見つめ続けるような楽曲たちが、波打っては押し寄せ、また引いていく。スクリーン映像に使われていたのはモノクロのフィルムで、数台の映写機を演奏に合わせてクロスフェードさせたり、フィルムを熱でただれさせたりする。こちらも大変ライブ感に満ちた効果的なものであった。ほぼフルサイズのパフォーマンスを終えて、記念すべき第1回目のIBYMは幕を閉じた。
午後からスタートして途中かなり押したスケジュールが終電を気にさせたり、長丁場の割に屋台販売の飲食物が18:30ぐらいにはぽつぽつと売り切れが出てしまっていたこと(フェス慣れしたオーディエンスは大概「食べ物は会場で調達できる」と判断すると思う)などは今後の課題になるはずだが、本当に素晴らしい企画だった。ぜひ今後も続けて欲しいし、その折には多くの人に足を運んでみて欲しい。(小池宏和)