ジャスティン・ビーバー @ 日本武道館

先日のマルーン5も凄かったが、それに輪をかけて女子ファンの嬌声が鳴り止まない武道館。ユーチューブ世代のシンデレラ・ボーイ=ジャスティン・ビーバー、昨年のプロモ来日に続く初のジャパン・ツアーである。色とりどりのサイリュームが視界一杯に振られ、バンド・メンバーでもあるオフィシャルDJ=タイ・ジェームスがバッキバキのエレクトロ・ハウスで満場のオーディエンスを繰り返しジャンプさせつづける。その間、巨大なスクリーンではデジタル表示でカウントダウンが行われていて、これがゼロになるとライブ本編がスタートするようだ。今にも爆発しそうな興奮と期待が立ち込める場内である。オーディエンスが一斉にラスト10秒をカウントダウンし始める大合唱。歓声が絶叫に変わり、スモークが焚かれる中、遂にジャスティンの登場である。

光沢のある白地にシルバーとパープルを配した、フード付きのフーチャリスティックなコスチュームにサングラスを合わせてダンサー達と踊るジャスティン。オープニング・ナンバーは“ラヴ・ミー”だ。ダンスの一環としてアクション映画みたいなファイト・シーンも盛り込まれ、在りし日のマイケル・ジャクソンを思い出させるパフォーマンスである。ジャスティンは飛び回し蹴りまでも繰り出す。『マトリックス』のようなSF風CGアニメーションが演出に用いられていたり、この辺りはジャスティン本人のアイデアが反映されているのかも知れない。

続いての“ビガー”ではパントマイム風ダンスを披露し、ゆっくりとサングラスを外して嬌声を浴びながら投げ捨てる。「ワッツアップ、トーキオー! これが最後のショウになっちゃったよ。だから一層ハッピーなものにしなくちゃね! 笑って!」と告げて“ユー・スマイル”へ。 歌のフックでコール&レスポンスを巻き起こすのだが、やはりジャスティン本人の少年性がキラキラ煌めく歌唱力が素晴らしい。ソウルフルなアドリブを伸びやかに聴かせながら自信満々にフィニッシュしてみせる。

更にその歌の凄みを見せつける時間となったのが、ギター奏者の伴奏と、本人もサウスポーでアコギを抱え披露されたアコースティック・バージョンの“ネヴァー・レット・ユー・ゴー”と“フェイヴァリット・ガール”だ。とりわけフラメンコ・ギターが寄り添う“フェイヴァリット・ガール”でのエモーショナルな歌は、これが史上最年少で武道館の舞台に立った海外ソロ・シンガーの実力なのかと、驚かされつつも目の前で起こっている現実に捩じ伏せられるしかない体験であった。

「今夜、寂しい思いをしているシングル・レディはどれくらいいるんだい?」という呼びかけから始まった“ワン・レス・リトル・ガール”では、通常、その日の公演に来場した女の子の中から1名がランダムに選出されステージに迎えられることになっているのだけれど、今回の公演では東日本大震災で被災した女の子が、特別にステージに招かれたのだった。ジャスティンなりの日本へのエールだったのだろう。という経緯については公演時には情報として伝えられていなかったので、女の子に花束を手渡し、頬を撫でながら超至近距離で歌を歌い聴かせるジャスティンの姿を目の当たりにした会場は、悲鳴の嵐である。当の女の子も、正直ここではちょっと恐縮してしまっている様子であった。

ジャスティンが衣装チェンジしている間に、スクリーンには彼の幼少時代のビデオが映し出される。筆者は未見なのだが、現在全国の劇場で公開中の彼のドキュメンタリー映画『ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー』の一部だろうか。スケートやプールで遊ぶ姿は普通の子供なのだけれど、椅子を叩いて刻むそのリズム感や、小さな手でギターのコードを押さえたりドラム・セットに収まってスティックを振るう姿には度肝を抜かれる。やはり、一目見れば誰にでも分かる、という驚異的な才能の持ち主だったのだ。ジャスティンは。

そして再び賑々しいダンス・トラックが放たれ、DJがオーディエンスを煽り立ててジャスティン・コールを巻き起こす。デザインは先ほどのものと似ているが黒地の衣装にチェンジしたジャスティンが、“サムバディ・トゥ・ラヴ”に突入してゆくのだった。華々しいシンセ・フレーズに包まれたヒップ・ホップ・ビートの“ネヴァー・セイ・ネヴァー”はこの後に披露される。コーラスを務めていたチカーノ系ボーカル・グループによるアカペラのマイク・パフォーマンスが挟み込まれ、忙しなくサービス精神一杯にジャスティンはスタジャン姿にスイッチ。オーディエンスとともに人差し指をかざしながら“ワン・タイム”が投下されるのであった。

重厚なストリングス風シンセ・サウンドに合わせて本編最後にプレイされたソウル・バラードは“ザット・シュッド・ビー・ミー”だ。ジャスティン自身が作曲に携わっているナンバーは、強い印象を残すフックが盛り込まれているものが多い。この曲の中で彼はマイク・スタンドを足で器用に寝かせたり起こしたりするパフォーマンスも見せてくれる。そして、ダンサー陣がマイケル・ジャクソンの“スタート・サムシング”のトラックで一人ずつ華麗なブレイキングを決め、続けてバック・バンドがエアロスミスの“ウォーク・ディス・ウェイ”をジャムしながらジャスティンの紹介を受け、メンバーがソロを披露してゆく。最後にドラマーのソロがプレイされると、ジャスティンがドラム・セットを乗っ取って彼のソロ・プレイへ。幼少期の映像に写っていた通り独学で荒削りだけど、パワフルなビートを聴かせてくれたのだった。

アンコールに登場したジャスティンが被災者への哀悼の意を表し、公演参加者に感謝の言葉を告げてからアカペラで歌い出した“プレイ”がまた感動的であった。「もう一曲やろうか? 何をやって欲しい?“ベイビー”かい?」と、大歓声の中でコーラス隊とともに(赤ん坊を抱く仕草を見せながら)ララバイを歌い出すというボケを一発かまして、最後の“ベイビー”へ。シンガロングもさることながら、コーラスの間の手を見事に決めてゆく大勢のファンが見事であった。

3月にスタートした『My World Tour』ヨーロッパ~環太平洋エリア公演の、最後の日程となるのが今回の大阪と東京における公演だった。鮮烈なデビューを果たし今や世界中をときめかせるスターになったとはいえ、16~17歳にして初のワールド・ツアーはかなり過酷なロード生活だったろう。そうでもないのか? 意外と楽しんでしまったのだろうか? とにかくジャスティン、日本に来てくれて本当にありがとう!(小池宏和)