開演時刻の少し前に場内に足を踏み入れると、そこは無音の世界。客入りの音楽は一切なく、メンバーの登場を待ちわびるオーディエンスの話し声だけがザワザワと聞こえている。そして18:00を過ぎた頃、どこからともなく聞こえてくる電子音。鳥のさえずりや鉱石の衝突を想起させるスピリチュアルなサウンドが、客電が明るいままの場内にじわじわと広がっていく。そのまま10分ほどを過ぎて1曲目“明るい部屋”へ流れると、場内の客電が徐々に落ちてメンバー登場。バスドラのキック音にフェイズがかったギターやベースがゆっくりと重なっていき、ライブはスタートした。
バンドにとって初のコンセプト・アルバムである『homely』。16日にツアー・ファイナルの仙台公演を控えているので詳細は明かせないが、今夜のアクトはそんなアルバムの流れを汲んだ、とてもコンセプチュアルな内容だった。曲間のMCは一切なし。大きな河の流れのように楽曲が推移して、ひとつの壮大なイメージを描いていく。さらにアフロビートを大胆に取り入れたエキゾチックなサウンドが、フロアをまったりと揺らしていく。その結果、過去の切っ先鋭い楽曲とはまた違う、じわじわとカタルシスへ上り詰めていくような心地よいスリルと快感が生み出されていたのが面白かった。ちなみに。音源ではトランペットやフルートなどの管楽器が入っていたのが衝撃的だったけど、今夜はあくまでもバンド・サウンドにこだわった印象。サポート・ベーシストの清水を交えた4人のみによる演奏で、新曲のトライバルなムードが高まっていたのも面白かった。
それにしても。曲が進むごとに神経が研ぎ澄まされていく「この感じ」はなんだろう。長い長いジャムセッションによって場内の磁場を大きく歪めた“作り物”、甘美なメロディが場内をアンビエントな世界へ導いた“ふたつの段階”などなど、夢とも現実ともつかぬ摩訶不思議な音像に身を委ねていると、脳内で摩訶不思議なストーリーがぐるぐると駆け巡っていくのがわかる。例えば、モンスターが棲む森に恐る恐る足を踏み入れたら、そこは豊かな木々が茂る楽園で、気づけば遭遇したモンスターとも仲良く手をつないでダンスしてました、みたいな。そうしてダンスに浮かれながらふと街を見下すと、人間がいる世界のほうがよっぽど恐ろしい場所に見えてくる、みたいな(この喩えが正しいかわからないけど、私はこんなストーリーをライブ中ずっと思い浮かべておりました)。そんな、ネガとポジを反転させて物事の真理をズバリと突いてくるようなオウガの音楽の鋭さには、つくづく驚かされてしまう。
そしてもっと驚くべきは、そこに説教臭さや頭でっかちなところが微塵もないところだ。ジャンルや音楽性に捉われず、自由な発想のもとに放たれる豊かな音の数々。そこには、「この曲のメッセージは?」とか「この曲のストーリーは?」とかいう窮屈な理論から切り離された、純粋な音楽的欲求のみが結晶化されているように感じる。ともすれば聴き手に音楽的IQ値の高さを要するものと捉えられてもおかしくないオウガの神秘的なサウンドが、あくまでも快楽のツボを突くものとして成立しつづけられるのは、そんな奔放な空気があってこそ。それがいつしか言葉を凌ぐ巨大なメッセージとなり、聴き手の体内をバクテリアのように侵食していくさまは、痛快以外の何物でもない。「心地よい」(イギリス英語)という意味と、「醜い」(アメリカ英語)という意味を同時に持った「homely」という言葉をタイトルに掲げたアルバムの世界が今夜のライブでは高らかに提示されることで、その事実が力強く証明されていたように思う。
なおアンコールでは“バランス”の「Twilight Edition」が披露され、これまたビックリ! 原曲からBPMを大きく落とした、まったく新しい曲に生まれ変わっていた。そう、オウガの尽きることないクリエイティブの源泉は、過去の曲すら大きく変容させていく。それを強烈に物語るクライマックスだった。(齋藤美穂)