ロックンロール名誉の殿堂入り式典。ニルヴァーナへマイケル・スタイプのスピーチ

ロックンロール名誉の殿堂入り式典。ニルヴァーナへマイケル・スタイプのスピーチ

4月10日にニューヨークのバークレイズ・センターで開催された式典でロックンロール名誉の殿堂入りを果たしたニルヴァーナだが、プレゼンターを果たした元R.E.M.のマイケル・スタイプ、ニルヴァーナのデイヴ・グロールとクリス・ノヴォセリック、カート・コバーンの母親ウェンディ、そしてカートの未亡人コートニー・ラヴがそれぞれにバンドとカートを振り返るスピーチを披露することになった。

マイケルはその紹介スピーチで次のようにニルヴァーナの重要性を解説することになった。

「こんばんは。マイケル・スタイプです。今日はニルヴァーナのロックンロール名誉の殿堂への殿堂入りを宣言するためにこちらに参りました。

アーティストが理想や世界観を世に示すと、ぼくたち全員にとってそれは自分が誰なのかということを理解するのに役立ちます。すると目が覚めて、ぼくたち全体やぼくたち個人の可能性を前に推し進めることになるわけです。そうやってぼくたち一人一人は自分が誰なのかよりはっきり見えるようになるのです。それが進化で進化的運動なのです。未来が現在を振り返って、『さあ、頑張って前に行こうぜ。ぼくたちはこっちにいるぜ。今』って声をかけてくれるようなものなのです。

ぼくは今ミュージシャンというよりはアーティストという言葉を使わせてもらっています。というのは、ニルヴァーナはアーティストという言葉のすべての定義にかなう存在だったからです。ニルヴァーナはアーティストとして最も高いハードルを越えていて、歴史のある瞬間を捉えることに成功しただけでなく、時代精神を見出して、自分たちの苦悩や野心、欲望を晒し出すことにも成功していました。そしてある時代を包み込んでそれを定義づけること。ぼくがアーティストと呼ぶのはそういう存在のことです。

ニルヴァーナは雷を瓶詰めにするような偉業を実現させてみせました。そして今や辞書では、それもインターネットの辞書では、「雷を瓶詰めにする」という言葉の意味は「なにか強力だが摑みどころのないものを捉えること、そしてそれを掲げて世に示すこと」と定義されています。

カート・コバーン、クリス・ノヴォセリック、デイヴ・グロールがニルヴァーナでした。その遺産と彼らが時代を定義づけた活動期間はぼくたちにとってもはや忘れられないものとなりました。ぼくがやっていたバンド、R.E.M.のように、ニルヴァーナはありえないような町から登場したバンドでした。ロンドン、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、あるいはニューヨークといった文化的な中心都市ではなくて、太平洋岸西北部ワシントン州アバディーンという、シアトル郊外にある工場労働者が大半を占める町の出身でした。

クリスはかつてニルヴァーナが1980年代のアメリカのハードコア・シーンから生まれたと説明しています。このシーンは真の意味でアンダーグラウンドなシーンでした。さまざまなバンドと音楽スタイルが折衷的に存在するという意味でパンク・ロックだったのです。ぼくたちはメインストリームとは離れた形で世の中との繋がりを求めている若者のコミュニティとなっていたのです。それは企業文化や政府の思惑の外側に築かれたコミュニティで自主独立と非集権化を特徴とするものでした。インターネットが登場する10年前に、コピー機を媒介にするメディアがここに存在し始めたのです。これは人と直に対面する形でのソーシャル・ネットワークだったのです。

デイヴ・グロールはかつてそんな自分たちの姿について「俺たちは落ちこぼれで、最低賃金しか稼げなくて、アナログ盤を聴いてはイアン・マッケイやリトル・リチャードなどといった自分たちのヒーローを模倣してたんだ。ハイになっては、ヴァンで寝泊まりして、世の中から注目されるなんてことは夢にも思ってなかった」と振り返っています。

活動はソロ・アーティストの方がやりやすいものですし、バンドというのは本当にしんどいものです。バンドをやると、自分の神経を逆撫でされるのと同時に気持ちがぴったり合う人たちと一緒にいることに気づかされるからです。そしてケミストリー、時代精神、瓶詰めになった雷、集合的な声などといったものの力を借りて、ぼくたちはある瞬間に焦点を当て、ぼくたちが現在なにを経験しているのか理解するのに役立ちます。つまり、これはコミュニティの問題なのであって、そこで自分をどうやって前に押し進めていくかということなのです。ニルヴァーナは世の中に聴かれたがっている声を引き出すことに成功したのです。

あの時代を思い出してみてください、あれは80年代の終わりから90年代の頭にかけてのことでした。アメリカという、希望に満ちた民主的な国の理想が、イラン・コントラ事件、エイズ、レーガン/ブッシュ政権によってほとんど解体され始めた時代だったといってもいいのです。

けれども、ニルヴァーナは彼らの音楽、彼らのアティテュード、彼らの声でもって、さらにぼくたちを文化的に抑えつけていた、ささいなことを広く訴えていく政治的な主張や運動や立場をあえて認めていくことで、そうしたものをすべて結晶化した核弾頭級の激情と怒りでもって吹き飛ばしてしまうことになったのです。ニルヴァーナはシステムそのものに対して抵抗していたわけで、音楽業界と企業文化やメインストリームとしてのアメリカへの軽蔑も露わにすることで、甘くて美しいけれども嫌悪感に満ちた怒りを、いたいけに声を上げるものとして提示してみせたのです。

歌詞的には、ぼくたちの抱えるか弱さ、不満や欠点を抉り出すものになっていました。また、当時の時代の浅はかさや政治的な狭量さなどものとはしないものの、世の中からは除外されたり無視されていた、大きな可能性を秘めたアウトサイダーのコミュニティーへと引き籠ったり、受け入れられて意気揚揚とするさまを歌っていました。このバンドは真実を語り、たくさんの人たちがそれに耳を傾けました。

ニルヴァーナはあの戦いの中である役割を自ら引き受けたわけですが、存在として際立っていましたし、ラウドだったし、メロディアスだったし、とてもオリジナルでした。それとあの声。あの声。カート、あなたはみんなに惜しまれています。ぼくもそう思います。

ニルヴァーナは時代のある瞬間とアウトサイダーのための運動を定義づけたのです。それはオカマの人たちやデブな女の子たち、ちょっと壊れちゃった人たち、内気なオタクたち、テネシーやケンタッキーのゴス連中、ロッカーや周りに馴染めない子たち、うんざりしちゃった子たち、頭がよすぎる子たちやいじめられっ子たち、そういうみんなのための運動になったのです。ぼくたちはみんなである一つのコミュニティであって、ある世代でもあって、特にニルヴァーナの場合にはいく世代にもわたるものにもなるわけですが、そういうみんなが全員で反響室の中で声を上げていたようなもので、きっとアレン・ギンズバーグもここに居合わせていたら誇りに思っていたことだと思います。

あの瞬間とあの声は大きく反響して、その後、音楽と映画、政治と世界観、詩、ファッション、アート、スピリチュアリズム、インターネットの始まりなど、ぼくたちの生活のいろんな分野でいろんな形で共鳴して影響を及ぼしていくことになりました。これはただのポップ・ミュージックではなかったし、もっと大きなものだったのです。

お互いの神経を逆撫でしては同時にぴったり気持ちを合わせることをちょうどいいタイミングで行った数少ないアーティストだったのがニルヴァーナなのです。クリス・ノヴォセリックとデイヴ・グロールをステージにお招きすることを光栄に思います」
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