【コラム】amazarashiの凄絶な映像世界に息を呑むーーライブ作品『世界分岐二〇一六』を体感

【コラム】amazarashiの凄絶な映像世界に息を呑むーーライブ作品『世界分岐二〇一六』を体感

聴覚だけでなく、視覚でも圧倒的
音楽ライブという表現はここまで視覚的かつコンセプチュアルに進化し得るのか――とこのライブを観たときにも驚いたが、改めて映像で客観的に観て戦慄した。自分はこんな凄絶な空間の真っ只中にいたのか、と。

6月22日に発売された、amazarashiのライブDVD/Blu-ray『amazarashi Live Tour 2016 世界分岐二〇一六』。最初に断っておくが、今作に収められている、リリックやムービーなど高精細なビジュアル演出が舞台を覆うライブ映像には、後から合成された要素は一切ない。

今回映像作品化された「世界分岐二〇一六」ツアーファイナルの中野サンプラザ公演はRO69でもレポートしたが(詳細はこちら→ http://ro69.jp/live/detail/140078)、今作に映し出されているものはすべて、実際に僕もライブ会場で目にしたものだ。

音楽だけでも高密度なamazarashiの表現が、視覚的にも圧倒的な情報量をもって展開されていた――ということが、今作の映像を観れば一発で伝わることと思う。「ムービーをフィーチャーしたライブ」などではない。映像と楽曲がもはや分かち難いものとして完全に融合してしまっているのだ。

ご存知の通り、これまでもamazarashiは、ステージと観客エリアの間の紗幕をスクリーン代わりにして、映像作家:YKBXによるアニメーションなどを写し出してきたし、それも含めてamazarashiというライブ空間を確立してきた。

しかし、過去最高にヘヴィかつシリアスな世界観を内包したアルバム『世界収束二一一六』を携えて行われた今回のツアーの空間を支配した切迫感は、今までに観てきたamazarashiのライブよりも格段に強い。


緊迫する空間、暴かれる時代の危うさ
『世界収束二一一六』は「人類が破滅の時を迎えた2116年」の緻密な描写を通して、政治/社会/文化などあらゆる分野において大きな分岐点に差し掛かっている2016年という時代の危うさを指し示した、渾身のコンセプトアルバムだった。

そして、今作に収められた中野サンプラザ公演は、秋田ひろむがこの日だけのために作ったというストーリー「世界分岐二〇一六」の朗読から始まる。荒廃した世界の「人類最後のひとりの想い」を切々と詠み上げた後、《ここにはもう人類は居ないのだから》と悲壮な風景を歌う『世界収束二一一六』の最終曲“収束”へ――。

「心の平穏を保つためにはできる限り目を背けていたほうがラクな事実」を、誰も目を逸らせないほど美しい映像効果とともに展開していくこのライブは、送り手と受け手の「共有」「共感」といった感情を軸に展開されることが一般化した日本の音楽シーンにおいては極めて異質に映ることと思う。

それでも、水を打ったように静かなこの日の客席に渦巻いていた緊迫感はどこまでもエモーショナルなものだったし、あまりにも真摯なライブの余韻は、今なお胸に強く焼き付いている。パンクロックをはじめとする音楽の直接的なメッセージ性とはまるで異なるハイパーな形で、amazarashiは時代への危機感を告発してみせたのである。

amazarashiは10月に自身初のセンターステージ全方位ライブ「amazarashi LIVE 360°」を開催する。そこでは誰も観たことのない鮮烈で熾烈な世界が展開されるのでは?と今から胸が躍る。(高橋智樹)
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