amazarashi/日本武道館
2018.11.16
●セットリスト
1.ワードプロセッサー
2.リビングデッド
3.空洞空洞
4.季節は次々死んでいく
5.自虐家のアリー
6.フィロソフィー
7.ナモナキヒト
8.命にふさわしい
9.ムカデ
10.月が綺麗
11.吐きそうだ
12.しらふ
13.僕が死のうと思ったのは
14.性善説
15.空っぽの空に潰される
16.カルマ
17.独白
amazarashi初の日本武道館公演「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」。この日彼らは、バンドの演奏、秋田ひろむ(Vo・G)の書き下ろした小説『新言語秩序』、専用のスマートフォンアプリを連動させ、ひとつの物語を紡いでみせた。
彼らが前代未聞の試みに臨むことに決めたのは、今春開催されたツアーによるところが大きい。秋田曰く、amazarashiはあのツアーでひとまず、当初目標としていた表現に到達したとのこと。だからこそ今回、「その先」を示す必要があったのだ。
「新言語秩序」の舞台は、あらゆる言葉が検閲されるようになった社会。誰かを傷つけるおそれのある過激な言葉、ネガティブな意味を持つ言葉などが「テンプレート逸脱」として規制されるなか、言葉を検閲する組織「新言語秩序」に所属するのが実多(みた)という人物。それに対し反意を抱く「言葉ゾンビ」のリーダー的存在が希明(きあ)という人物だ。物語はこの2人を主人公として展開。なお、amazarashiは「言葉ゾンビ」の代表格ミュージシャンという位置づけであり、そのライブに集った我々もまた「言葉ゾンビ」側の人間である。また、開演前には影アナにより繰り返し「本ライブは、『新言語秩序』により、一部の表現が検閲される場合があります」との通告が。ライブの幕開けを飾った秋田の朗読にはノイズが混ざっていて、その全容を把握することができなかった。
1曲目は“ワードプロセッサー”。最初の一音が響きわたると、ステージを囲う半透過LED越しにバンドのシルエットが浮かび上がった。そこには、体調不良によりしばらくライブ出演を見合わせていた豊川真奈美(Key・Cho)の姿も。轟々と唸るサウンドの上に立つ《歌うなと言われた歌を歌う》、《話すなと言われた言葉を叫ぶ》というフレーズは、まさに「言葉ゾンビ」としての声明そのものだ。「日本武道館、『新言語秩序』! 青森から来ました、amarzarashiです!」と秋田が力強く挨拶。続く“リビングデッド”ではオーディエンスのスマホライトが一斉に点灯した。
“季節は次々死んでいく”で最初のブロックを終えると「ありがとう!」と秋田。この時、客席から凄まじい音量の歓声が湧き上がったものだからかなり驚いてしまった。amazarashiのライブはシリアスな内容を孕んでいることが多いため、客席は基本的に静かである。しかしこの日に限っては、「フゥー!」というようなテンション高めの声が聞こえてくることもあったし、ハイライトが訪れるたびに「この日一番の歓声」が都度更新されていった。おそらく、これまで体感したことのないような興奮をオーディエンスが味わっていたからこそ、そのような状況が生まれたのだと思う。また、「amazarashiがいよいよ武道館に」という事実自体が嬉しくて堪らないという人もたくさんいたのだろう。
以降は「秋田が小説の各章を順に朗読→バンドが数曲を演奏」という流れが主だった。“自虐家のアリー”演奏中、MVコメント欄の映像が示唆したのは、逸脱者はいないかと、ハイエナが如く嗅ぎまわる民(たみ)の存在だった。“吐きそうだ”の時に大きく映し出された、秋田のインタビュー記事を掲載する架空の雑誌のタイトルは「Old Speak Express」だった。“僕が死のうと思ったのは”が浮き彫りにしたのは、親からは辱められ、学校ではいじめられていた実多の壮絶な過去。「醜い言葉によって心を蹂躙された者は、それにふさわしい人間になった」と実多は言う。しかし、“ナモナキヒト”が希望の灯になりえるのは、そこで一切綺麗事が歌われていないからではなかろうか。“月が綺麗”で歌われているように、言葉とは元来、果てないロマンを持つものではないだろうか。いったい正しいのはどちら?と、私たちの心を揺さぶる“性善説”。“命にふさわしい”ではアプリが検閲解除モードになり、黒く塗りつぶされていた言葉の数々が白日に曝されていく。秋田の過去が綴られたポエトリーリーディング“しらふ”では、生身の言葉が絶え間なく溢れ出していく。
ここまでの流れに圧倒され、数曲の間、押し黙っていたオーディエンス。第3章の朗読を経て、“空っぽの空に潰される”が鳴らされると、その開放的なサウンドに導かれるようにして、客席からうわっと声が上がった。その熱量を引き連れて演奏されたのは“カルマ”。スクリーン上では希明を筆頭にデモを行う群衆が拳を掲げ、客席ではオーディエンスが光を放つスマホを掲げている。同曲を終えると、歪むギターがブツリと途切れ、突如暗転。ここでスクリーン上の映像が、第4章の規制が解除されたことを知らせてくれた。そして秋田が朗読を開始。ここで描かれていたのは、アプリで事前配信されていた第4章とは大幅に異なる、物語の真の結末であった。
こうして“独白”の演奏が始まった。“独白”は最新シングル『リビングデッド』のカップリング曲で、シングルにはノイズまみれの「検閲済み」バージョンが収録されている。ここで秋田が歌い始めたのは本来の歌詞であり、その内容は、実多の独白ともとれるものだった。言葉にならないことこそ言葉にするべきだ。君自身の言葉で自身を定義するんだ。鬼気迫るような勢いで、息つく間もなく秋田は歌い続ける。
「言葉を取り戻せ!」
「言葉を取り戻せ!」
「言葉を取り戻せ!」
歌い終えてもなお、彼はギターを掻きむしりながらそう叫んでいた。
これがこの日演奏された最後の曲だった。秋田は以前、武道館のすぐ近くでバイトをしたことがあったらしいが、振り返れば、その辺りに関する具体的な思い入れを語る場面は特になし。しかし、amazarashiの場合、何よりもライブが雄弁だからそんなことをする必要がなかったのだと思う。限りなく誠実に、言葉と対峙し続けたバンドだからこそ創り出すことのできた、新次元の表現・空間。体裁こそコンセプチュアルではあるが、この日描かれた「新言語秩序」の物語とはつまり、amazarashiというバンドの生き様そのものだったのだ。
「日本武道館、ありがとうございました!」という秋田の挨拶を経て、暗転。そして終幕。すると、これまで聞いたことのないほどの喝采がステージに降り注いだ。(蜂須賀ちなみ)