靄がかった草原の情景。風になびいて雨に流されるように、その歌声は現れて掻き消えてゆく。姿を見せる帽子を被った少女は、表情こそ判然としないものの、確かに歌声に肉体を与え、歌と一体になるようにゆるやかに四肢を躍動させて去ってゆく。8月24日に先行配信され、後に動画も発表されたこの“ナラタージュ”という歌は、10月7日(土)に劇場公開される同名映画の主題歌だ。
すでに大きな話題となっているが、この“ナラタージュ”を歌うシンガー=adieuについては、現在17歳の都内高校に通う女子高校生であること以外、多くが謎に包まれている。コンセプトとして伝えられているキャッチコピーは「時を止める歌声」。
映画主演は松本潤、ヒロインは有村架純。監督は行定勲。島本理生のヒット小説を原作にした映画『ナラタージュ』は、公開前から注目を集めるのも道理だろう。その主題歌を歌うのが謎の新人シンガーとなれば、誰だって気になる。narratage(ナラタージュ)とは、もともとnarration(ナレーション)とmontage(モンタージュ)を掛け合わせた言葉で、映像作品の回想シーンなどに用いられる語りの技法のことだ。
“ナラタージュ”という歌は、記憶の彼方にある思いに触れようとするテーマそのものがまさにナラタージュ的だ。adieuの、儚いようでいて凛とした存在感を残してゆく歌声は、いつか必ず掻き消えてしまう歌というものがいつでもそうであるように、永遠になることを願っている。録音し、インターネット上に拡散し、人は技術を進歩させてなお、歌が永遠のものであって欲しいという願いから逃れることができない。なぜなら、歌は永遠ではないからである。
人と人とが重ね合い、響かせあう思いも、とても儚い。ただ、それが「無意味」かと言えば、きっと誰もがそうではないと首を横に振るだろう。靄に包まれ、風に吹かれ雨に流れる、そんな記憶を大切に仕舞い込んでいるはずだ。“ナラタージュ”の歌詞の最後に伝う、歌に寄せる思いは、不確かな思い出と共に生きる覚悟の表れだ。adieu=「さようなら」というアーティスト名でシーンに登場したシンガーは、儚いからこそ意味をもつ歌の本質を知っている。
“ナラタージュ”の作詞・作曲を手掛けたのは野田洋次郎。近年、楽曲提供やプロデュース仕事が増えている彼も、人と人とが響かせ合う思いの関係性をとても大切にしているように見える。1曲の独立した歌として以上に、この歌が映画作品の中でどんなふうに響き、人々の中で響き合ってゆくのか、ぜひ確かめて欲しい。(小池宏和)