「SEKAI NO OWARIという価値観」の鋭さと美しさ――藤崎彩織の初小説『ふたご』に寄せて

「SEKAI NO OWARIという価値観」の鋭さと美しさ――藤崎彩織の初小説『ふたご』に寄せて
10月28日に発売された、SEKAI NO OWARI・Saoriこと藤崎彩織の初小説『ふたご』をもう読んだだろうか?
彼女自身、「自分の経験をベースに、バンド結成の話を書こうと思いました」と後書きに記している通り、本作において「私=西山夏子」の目線で描かれる中学校の1年先輩「月島悠介」との日々、「ぐちりん」、「ラジオ」といったメンバーとの出会い、手作りのスタジオ兼ライブハウス「地下室」……といったエピソードは、実際の結成に至る道程を題材にしたメタフィクション的な意味合いを当然帯びているだろうし、そこで綴られる夏子の心の揺らぎは多かれ少なかれ、Saori自身が人生において直面してきた葛藤の描写でもあるはずだ。

友達の作り方がわからなくて途方に暮れる中学生の夏子に「お前の居場所は、俺が作るから」と告げる月島。
そんな月島に幾度も突き放され振り回されながら、それでも月島の価値観に衝撃と影響を受け、その世界観を追い求めるがゆえに苦悩する夏子――。

バンドの根幹における「はじめに仲間がいて、次に音楽がある」という基本構造と、だからこそ生まれた「ボーカル/ギター/ピアノ/DJ」というベース&ドラム不在の変則編成はいかにして形作られていったのか。
特定のジャンルやスタイルへの思い入れも、バンドという表現形態への幻想も持たない4人はなぜ、誰もが思い浮かべる「バンド像」とはまったく異なるポップ感と批評性を兼ね備えているのか――。
そんな特異性が他ならぬメンバー同士の関係性から生まれていることを、登場人物の姿を通して間接的に窺い知ることができるのも、本作の大きな意義ではある。
が、何より本作に鮮烈な眩しさを与えているのは、夏子が月島に向ける感情――誰かを大切に思うがゆえに圧倒的な切迫感をもって渦巻く少女の苦悩と煩悶を、冷徹なまでに正確に活写していくSaoriの筆致そのものだ。

もちろん本作はドキュメンタリーではなく小説なので、この『ふたご』のどこまでが事実でどこからが作り話なのか、といった線引きはナンセンスだろう。
しかし、月島独自の言葉や考え方を客観視しながらも、どうすることもできない宿命の如く月島の磁場へと導かれていく夏子の感情を丹念にひもといて結晶化させるSaoriの、「言葉に懸ける使命感」とでも呼ぶべき熱量は、イビツな真実であっても極限まで批評し対象化してリアルなポップに昇華させてみせるSEKAI NO OWARIの精神を、どこまでもダイレクトに体現している。

後書きによれば、Saoriはこの『ふたご』という小説と――つまり夏子の感情と、2012年の夏から実に5年間にわたって向き合い続けていたという。
《ひとりぼっちにさせないから/大丈夫だよ/その言葉返せるように/強くなりたい》……「中学生の自分にあげたい曲を作ろうと思って、作詞しました」とSaori自身がTwitterでコメントしていた通りの虚飾なき切実な想いが焼き込まれた“プレゼント”が、本作の夏子の姿とクロスフェードするかのように脳内に蘇ってくる。そんな1冊だ。(高橋智樹)
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