U2の40年間を振り返る。新作『ソングス・オブ・エクスペリエンス』の「最新型」サウンドの原点とは

U2の40年間を振り返る。新作『ソングス・オブ・エクスペリエンス』の「最新型」サウンドの原点とは

12月1日にリリースされたU2の新作『ソングス・オブ・エクスペリエンス』。
このアルバムが世界中のiTunesユーザーに無料頒布された2014年の『ソングス・オブ・イノセンス』の続編であることは度々取り沙汰されてきている。

また、『ソングス・オブ・イノセンス』を制作するにあたって、デンジャー・マウス、ライアン・テダー、ポール・エプワースと並み居る売れっ子プロデューサーを迎え、またその過程ではレディー・ガガを世に送り出したレッドワンとのコラボレーションまで試み、さらにはデヴィッド・ゲッタにまで声をかけていたことも明らかになっている。

そこまでして貪欲に最新型のサウンドを導入しようと四苦八苦して作り上げた『イノセンス』だが、その連作となる今回の『エクスペリエンス』は実はそれこそ古典的なU2の極致といってもいい内容である。それでいて、これまで貪欲に最新型のサウンドを求め続けてきたことも功を奏して最新のU2の音として響いているのだ。

U2 - The Blackout

デヴィッド・ゲッタにまで声をかける一方で、自分たちらしいサウンドを徹底的に追い込んで突き詰めていくU2の行動原理は何なのか。それはまさに、U2の原点に戻ってみればよくわかることだ。

U2はもともと1976年に結成し、80年にはレコード・デビューしている。パンク・ロック勃発の年に活動を始めただけあって、徹底したポスト・パンクを追求するバンドだった。実はU2の特徴的なサウンドはこのポスト・パンク期における試行錯誤の結果として生み出されたものだ。

異常に戦闘的なリズム・セクションに先鋭的だがどこまでも抒情的なジ・エッジのギターのピッキング奏法、それとボノの情熱的でメロディアスなボーカルを融合していくというもので、この基本的な性格は今でも変わっていない。しかし、どんな極端な実験をも臆さないポスト・パンク・バンドとして、このサウンドやバンド・ケミストリーの瑞々しさを保つためにバンドはあらゆる試みにこれまで取り組んできたのだ。

U2 - Sunday Bloody Sunday

たとえば、バンドは1983年の『WAR(闘)』で自分たちのサウンドをほぼ作り上げたといってもよかったが、ここでバンドが目を向けたのがブライアン・イーノだった。攻撃的で直線的だったそれまでのバンドのアプローチに対して、それとはまったく対照的な音へのアプローチする実験を試みることで、84年の『焔』で壮大な空間と空気感をたたえたサウンドを獲得する。

バンドはその次回作でもブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎え、同じサウンド・アプローチで簡潔な楽曲作りに徹することで最高傑作のひとつ、87年の『ヨシュア・トゥリー』を生み出した。そしてこのアルバムをきっかけにポスト・パンク・バンドから脱し、ロックンロール全体を飲み込んだバンドへと破格の成長をみせることになる。

また、ある意味でこのアルバムで実現してみせたロック・サウンドは90年代以降のロック・サウンドそのもののひとつの定式とさえなったのだ。

U2 - With Or Without You

しかし、バンドはその後も刷新の手を緩めず、パンク・ロック以前のロックンロールとルーツ・ロックの探求、イギリスとヨーロッパで90年代に勃興したエレクトロニック・ダンス・カルチャーやDJカルチャーを大胆に導入するなどの試みを『魂の叫び』、『アクトン・ベイビー』、『ポップ』などの作品で追求し、その果てに自分たちの原点となるサウンドをあらためてその境地から見つめ直す2000年の名作『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』を生み出していく。そしてそのロック・フォーマットをボノの父の死でさらにブーストした04年の『原子爆弾解体新書』も生み出すことになった。

その一方で、2009年の『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』は『アクトン・ベイビー』以来ブライアン・イーノと合流し、モロッコで中近東とアフリカの音楽に影響されたレコーディングを行い、それらの楽曲をもとにした画期的な実験作となるはずだった。

しかし、バンドはこのサウンドがU2の本分とロックンロールからあまりにも逸れたものだと判断し、モロッコ路線をいったん保留にして、本来の自分たちの楽曲に近い楽曲を選別しつつ、新しく楽曲を制作しながらこのアルバムを仕上げていった。

そもそも『ノー・ライン~』は、『オール・ザット~』や『原子爆弾解体新書』における典型的なU2ロックンロール路線や方向性を根底から刷新する試みのはずだったので、バンドも『ノー・ライン~』に収録されなかった、より実験的なモロッコ音源についてはそれを次回作としてリリースしていくつもりだった。

ただ、時間が経てば経つほど、このイレギュラーな音源を自分たちの新作として世に問うこと自体も納得がいかなくなる。さらに『ノー・ライン~』からはシングル・ヒットが1曲も生まれなかったことから、自分たちの音の有効性がもはや失われているのではないかという危惧に捉われていたこともこの時期のボノは度々コメントしていた。

U2 - Magnificent

その後、バンドはこのモロッコ音源を完全放棄し、レッドワンとのコラボレーションでダンス路線にも試み、デヴィッド・ゲッタともコラボレーションを考えたという。そして最終的にデンジャー・マウスとともに、自分たちの原点をみつめ、ロックンロールにあらためて邁進するという路線に仕切り直しすることになった。

しかし、今度はこの音源があまりにも「インディ」さながらなものになってしまい、一部の曲についてはライアン・テダーやポール・エプワースなどのポップ・プロデューサーに声をかけ、彼らが手を入れることになる。
これが『ソングス・オブ・イノセンス』という労作になったのだ。

さらにこの新しい楽曲群をどうしても若いリスナーに聴かせたいと強烈に思っていたバンドは全世界のiTunesユーザーに勝手に無償で頒布してしまうという勇み足も冒し、結果的に「注文もしていないものを勝手に配信するな」と大きな批判を浴びることになった。

ただ、楽曲としてはここ数年来ではよく書けている楽曲群だったので、『ソングス・オブ・イノセンス』という初期衝動回顧的なテーマとそぐわなかった、より現在の自分たちの心境に近い楽曲群については次回作としてリリースすると予告もしていた。

U2 - Song For Someone

それが今回の『ソングス・オブ・エクスペリエンス』となるはずのものだったのだが、ボノが自転車事故で重傷を負ったため、この治療のためにしばらく療養せざるをえなくなり、その結果、その間バンドはまたしても新しい楽曲群を書き出していく。『イノセンス』を制作していた時期のインスピレーションをそのまま引っ張って、書き続けていったらこの内容になったというもので、しかも、何度目かのU2のロックンロールの全貌を現出せしめる傑作となったのだ。

一見すると『ヨシュア・トゥリー』も『オール・ザット~』も『エクスペリエンス』も、どれも似たようなU2のロックンロールの境地を聴かせるアルバムに仕上がっている。しかし、特徴的なのは、どの作品についても制作当時の音としては収斂され尽くしたモダンなサウンドとして鳴っていることだ。それはU2がこうした音とスタイルを狙って制作したからではない。

もちろん、U2に特徴的なスタイルと音がこれらの作品においては極まっているところが、この3作品の最も魅力的なところではある。しかし、ほとんど先の見えない実験と試行錯誤の果てにこの3作品に行き着くしかなかったというところが、U2なのだ。そうした意味で、実はこのバンドは70年代末のあのポスト・パンク・バンドのままだったのだとあらためて実感させてくれるところが最もすごいところなのだ。(高見展)
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