いよいよ今月開催される「FUJI ROCK FESTIVAL '18」の最終日、7月29日(日)のヘッドライナーを務めるために来日するボブ・ディラン。
『ロッキング・オン』8月号では、6月8日に刊行された評論家ロバート・シェルトンによる『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』の翻訳より一部を抜粋し掲載している。
今回掲載しているのは、にエレクトリック・サウンドへと転向した後に彼が対峙した、フォーク時代のファンとの対立などを伝える数々の場面だ。
当時のディランとファンとの対立は、記者会見を開く事態にまで発展したという。だが、ディランの記者会見は一種のパフォーマンスでもあり、記者が事情通で思いやりがあれば、いつもよりよくしゃべり、質問が気に入らないとひねくれ、ふざけた答えを返していたのだという。
1965年12月3日、サンフランシスコでの記者会見の中で、ディランはKQED‐TVの記者に対し苛立ちを表に出した以下のような返答をしている。
KQED「あなたは自分を歌手だと思いますか、それとも詩人だと思いますか?」
ディラン(以下D)「ああ、ぼくは自分のことをソング・アンド・ダンスマンだと思ってる」
(中略)
KQED「フォーク音楽をどう定義しますか?」
D「大量生産の合憲的再生」
(中略)
KQED「将来の望みはなんですか。世界をどう変えたいと思いますか?」
D「将来への望みはない。ただ、履き替えられるだけのブーツは持っていたいと思う」
また、この数週間後のロサンゼルスでの記者会見では「あなたは自分の音楽で何を言おうとしているのですか? 私にはひとつとして理解できません」と質問されると以下のように答えたようだ。
気にしなくてもいい。あなたに何か言っているわけじゃないから。理解できないのなら、考える必要はない、あなたに向けて書かれたものじゃないから。
その後、1965年7月に行われたニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したディランは、エレキ・ギターを抱えて“Maggie's Farm”のエレクトリック・バージョンを演奏。ここでは観客から「フォークをやれ! 裏切り者!」などの声が上がっていたのだとか。
フェスの翌週にディランに会ったという著者のロバート・シェルトンは、ディランが当惑し、悩んでいるようで、全身から敵意を発していたと語っている。
様々な葛藤の中で、ディランは何を考え、どのように決断していたのか。
『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』の翻訳の一部を掲載した『ロッキング・オン』8月号を読み、ぜひ当時の彼の頭の中を覗いてみてほしい。
なお、『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』を読み解くポイントを解説した特集記事は以下より。
7月17日(火)に行われる彼のドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック』の上映イベントの詳細は以下より。
ボブ・ディランの特集記事は現在発売中の『ロッキング・オン』8月号に掲載中です。
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