ノーベル賞受賞後初となる今回の来日にあわせて、日本独自企画の来日記念盤『ライヴ:1962-1966~追憶のレア・パフォーマンス』がリリースされるほか、評論家ロバート・シェルトンによる労作『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』の翻訳が初めて実現し、刊行されている。
ボブ・ディランとは何者なのか?という永遠の謎に腰を据えて向き合った本書は、それを解くべき最良の方法が記されているともいえる。フェス来日前の今、この伝説的ドキュメンタリーの読むべきいくつかのポイントを解説したい。
文=高見展
著者ロバート・シェルトンとは何者なのか?
著者であるロバート・シェルトンはデビュー前からボブ・ディランに注目し、ニューヨーク・タイムス紙での自身の記事でボブのことを紹介していた音楽評論家だ。
それまでフォーク、ポップ、カントリーなどの記事をニューヨーク・タイムスという超有力メディアで精力的に執筆していたロバートの影響力は強く、ボブのコロムビア・レコードとのメジャー契約実現はロバートの高評価が後押ししていたところも大きいといわれている。
ある意味でなんの拠り所もなかった頃からのボブ・ディランにとっての最大の理解者だったロバートはボブの友人としても知られていて、1965年の大晦日、ふたりはマンハッタンのアップタウンにある「クリック」という場所で食事をしながら、伝記の企画について語り合ったという。
実際にこの本が刊行されたのが1986年なので単純計算で20年もかかったことになる(内容の時系列としてはには1978年のアルバム『ストリート・リーガル』と79年の『武道館』までで終わっている)。
発売まで20年もかかった理由
ロバートは、ボブ・ディランの古い友人たちに連絡し、伝記を包括的なものにするための材料を集めていた。しかし、20年がまるまる執筆に費やされたわけではなく、なかなか出版にこぎつけることができなかった事情も大きく関与している。
なぜかというと、この本は膨大な人物との取材や調査の結果を注ぎ込まれていて、しかもそれはロバートの主観に沿って執筆された内容になっているため、わかりやすいライフ・ストーリーが綴られているわけではなく、さまざまな出版社から刊行を断られていたからだ。
ボブ・ディランを理解するための、遠回りだが最良の方法
ロバート・シェルトンというひとりの音楽評論家が、ボブ・ディランについて思う時、なにが彼の思考の中で去来していくのか。それをつぶさに解き明かしていくのがこの本の内容であって、それはロバートがボブについて知っているすべての経験を読者に明かしていく作業にもなっている。
そしてそれは、ボブの素性や生い立ちがどういうものであって、その後どう育ってミュージシャンになったか、と直線的にわかりやすく説明できる性質のものではなかったのだ。
だから、内容としてはかなり込み入ったものになっているのだが、これを辿ることによって、読者はロバートが持つボブについての経験に限りなく近づくことができるし、実はボブ・ディランについて理解するには、おそらくそれが一番わかりやすい方法なのだ。
もしかすると本書を読んで「さっぱりわからねえや」と思う人もいるかもしれない。
しかし、そう思ったところで、ボブの発言やロバートの記述など、この本の内容の一部は何かしらの印象としてその人の記憶に残るだろうし、それはその後、ボブ・ディランのレコードを聴き直した時に何かしらの感慨を抱くきっかけになるかもしれない。そうなったとしたら、その人はある意味で、よりボブの経験に近づいた、といえるはずなのだ。
事実、「よくわからない人」というのは、ボブ・ディランについて多くの人が抱く印象でもあるし、基本的にボブはそういうロックの偉人として見られているところも多い。
ボブ・ディランはなぜヒット曲を演奏しないのか?
たとえば、近年で最も顕著なボブ・ディランのそうした性質は、「なぜほかのベテラン・ロック・アーティストと同様に、ライヴで自分のグレイテスト・ヒッツを披露しないのか?」という問題からも見てとれる。
特にここ十年来、ボブはライヴのセットを1997年の『タイム・アウト・オブ・マインド』以降の楽曲で固めてきて、それ以前の歴史的なヒット曲についてはまるで取り上げようともしてこなかった。
それは、『タイム・アウト・オブ・マインド』以降、ボブが懸命に追っかけているテーマがあるからで、ほかのことには構っていられないからなのだ。それでなくても、『タイム・アウト・オブ・マインド』のリリースと前後してボブは心膜炎で命を落としかねない経験もしたので、もうやりたいこと以外については一切考えなくなったのかもしれない。
『タイム・アウト・オブ・マインド』でボブは、自身の原体験となったサン・レコード的なサウンドの自ら形にしていくアプローチを追求した。
その一方で、2006年の『モダン・タイムズ』以降は、40年代、50年代のアメリカのポピュラーなサウンドとその質感を捉え直す試みも重ねている。
なぜならそうしたものが、ボブの「ロックンロール前史」として自身の耳を培った音楽であり、その実感を記憶している残り少ないミュージシャンとしてそれを伝え残そうとしているのだ。
2015年以降『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』、『フォールン・エンジェルズ』、そして昨年リリースされた3枚組『トリプリケート』と続く精力的なリリースには、そういう背景がある。
しかし、ボブの音楽と作品に付き合っていれば、彼の真意がわかってくることもあるわけで、そのひとつの代表例がこのロバート・シェルトンの労作『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』なのだ。
だから、一見わかりにくいドキュメンタリーに思われるかもしれないが、決して読みづらいわけではないし、きっと後々「ああ、こういうことだったのかも」と振り返ることが多い本だと思う。
ちなみにボブはノーベル賞を受賞してから60年代や70年代の記念碑的な楽曲も披露するようになっていて、フジロックから直近の4月にイタリアのヴェローナで行われたライヴでは“Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)”、“Tangled Up In Blue(ブルーにこんがらがって)”、“Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)”、“Ballad of a Thin Man(やせっぽちのブルース”を披露している。
●書籍情報
『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』
ロバート・シェルトン[著]
エリザベス・トムソン パトリック・ハンフリーズ[編]
樋口武志 田元明日菜 川野太郎[訳]
ISBN978-4-591-15839-5 上製・函入り/A5判/896頁
定価:本体7800円(税別)
【目次】
『ノー・ディレクション・ホーム』のいま
英語版編者による序文
Prelude:時代は変わった
1. 「ここで声を荒らげないでくれ」
2. ミシシッピ川を隔てて
3. トーキング・グリニッチ・ヴィレッジ・ブルース
4. 寂しき西四丁目一六一番地
5. 御用詩人ではなく
6. ロール・オーヴァー・グーテンベルク
7. いくつかの地獄の季節
8. オルフェウスがプラグを差し込む
9. 闘技場のなかで
10. 片足をハイウェイに
11. 沈黙に耳を傾ける
12. 自由なる逃走
13. 雷、ハリケーン、そしてはげしい雨
Postlude:闇を突き抜けて
【巻末資料】索引/年譜 1979―2016/主な録音作品/主な参考文献
●リリース情報
ボブ・ディラン『ライヴ:1962-1966~追憶のレア・パフォーマンス』
2018年7月18日(水)発売
¥2,800+税/SICP-31180~31181(2CD)
本書の一部、ボブ・ディランがフォークからロックへと舵を切った1965年のエピソードを抜粋した記事が「ロッキング・オン」8月号に掲載中。
「ロッキング・オン」6月号、ボブ・ディラン巻頭特集号も発売中です。
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