フロントマンのキース・フリントが49歳で急逝したザ・プロディジーだが、『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』(1997)のヒット・シングル“Smack My Bitch Up”について、ソングライターとして参加したUltramagnetic MC'sのクール・キースとセッド・ジーが当時の思い出を語っている。
「Ambrosia For Heads」のインタビューによるとクール・キースはリアム・ハウレットともともと友人同士だったとのことで、その繋がりで楽曲参加の話をもらったとのこと。
その経緯について、セッド・ジーが以下のように回想している。
何が起こったかというと、彼ら(プロディジー)は当時の(Ultramagnetic MC'sが所属していた)Next Plateauの社長、Eddie O’Loughlinと仕事をしていたんだよ。サンプリングの権利クリアをエディがやってたから。
それでエディが「(クール・)キースとイチからやればいいんじゃない?」って言ったんだよ。俺はA&R(アーティストの発掘・育成・制作担当)の責任者としてNext Plateauで働いてて、プロディジーに(クール・)キースの番号を渡して、それで彼に連絡が行ったんだ。それから彼らが組むことになったというわけ。
また、Ultramagnetic MC'sは『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』のリリース後にニューヨークとメルボルンでプロディジーと共にライブを行ったとのことで、クール・キースは当時のキース・フリントについて「超クールなやつだった」と回想。
“Smack My Bitch Up”で得たギャラについてもセッド・ジーが当時抱えていた連邦税の負債10万ドル(約1200万円)を完済できるほどだったとのことで、以下のようにも続けている。
その金を催促して走り回らなきゃならないようなことは一度もなかったし、たっぷりもらったよ。俺はあのバンドが解散しないことを願ってるけど、でもキースはバンドのリード・シンガーとして本当に重要な存在だったからね。
ジャクソン5のマイケル・ジャクソン、(ニルヴァーナの)カート・コバーン級のさ。だからちょっと難しいかな。