あいみょんはなぜ「セックス」と当たり前のように爽やかに歌えるのか?

あいみょんはなぜ「セックス」と当たり前のように爽やかに歌えるのか?
『映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン ~失われたひろし~』の主題歌“ハルノヒ”も好調な、あいみょん。子ども向けのタイアップでもあたたかく作品に寄り添うポップソングを生み出す一方、彼女の楽曲には性的な表現を含む恋愛ソングなどもあり、実に表現の幅が広い。あいみょん初の日本武道館公演ではオーディエンスが「セックス!」と叫び「ナイスセックス!」と返したことも話題となった。

インディーズでデビューした頃は“貴方解剖純愛歌 〜死ね〜”をはじめ、重ための恋愛ソングも多々あったけれど、今のあいみょんには「セックス」と歌ってもいやらしくない爽やかさがある。何というか、「セックス普通にするよね?」って感じ。

《いってきますのキス/おかえりなさいのハグ/おやすみなさいのキス/まだ眠たくないのセックス/お風呂からあがったら/少し匂いを嗅がせて/まだタバコは吸わないで/赤いワインを飲もう》(“ふたりの世界”)

こうした歌詞を見ても、セックスは日常の、あるいは恋愛におけるモチーフのひとつであり、それが特別なことだったり、恥ずかしいことだったり、ましてや幸せの到達点などでは決してない。もっと言うと基本的にあいみょんが作る曲の主人公はセックスしたからわかりあえるなんて思ってなさそう。むしろ《さよならの後が/心地いいように/キスはしないでおこう?/2人きりだけど》と歌う“GOOD NIGHT BABY”なんて非常にあいみょん的な表現だなと思う。彼女にとって、キスをすることよりも、キスをしないことの余韻の方がずっと大事だったりするのだ。「セックスしたから何なんだ」、と。

こんな風に、あいみょんは男女の密室的な恋愛ソングを歌っていたって、いつもセックスの向こう側にある何かを見つめているような気がしてならないのだ。それが本当の愛なのか、温もりなのか、何なのかはわからないけれど。あいみょんの「セックスぐらいするでしょ」的な雰囲気の内側で、でもそんなことでは決して心は満たされないことをわかっていることが、逆にセックスを歌うことを軽やかにしているのではないだろうか。

さらに筆者の個人的な意見として、あいみょん自身は、サバサバとしたポジティブな恋愛観をもっているタイプの女性だとは思わない。どこか割り切れなさや寂しさを抱えながら、それでも誰かの側にいるような、そんな切なさやジメッとした感情がふとした歌詞の行間から溢れてくることがある。しかし、それが実体験かどうかなんてとっくに飛び越えた、楽曲が持つポップな力であいみょんは日本の音楽シーンのど真ん中で愛されている。自身の恋愛観はどうあれ、あいみょんはセックスを歌っても爽やかな女性シンガーソングライターであるという稀有な立ち位置を既に確立した。

音楽をやるうえで影響を受けたのは主に男性アーティストであることや、そんな先輩たちへの敬意があって音楽を作ることそのものを真剣に楽しんでいることも大きいのだろう。だからこそ、あいみょんは決してひとりよがりな自分語りにとどまることのない自由で風通しの良いポップソングを生み出せる。子供向け映画のタイアップでも、官能的な表現で恋愛を歌っても、爽やかな青春感を軽やかに添えて曲を届けられるのが、あいみょんのミュージシャンとしての凄さだ。(上野三樹)
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