My Hair is Bad・椎木が男の本音と女の本音をどちらも歌える理由

My Hair is Bad・椎木が男の本音と女の本音をどちらも歌える理由
先日行った占いにて「男は頭で考える生き物だから女が言葉にしないとダメよ!」と占い師から説教を食らった。本当にそうなのか?と思い、その後「女心」、「男心」をそれぞれネットで検索してみると、「男性は論理的に物事を考え、女性は直観や感情で考える」といったことが書いてあった。なるほどなぁと思いつつ、とはいえ思慮深い女性もいれば感情豊かな男性もいるし、元も子もない言い方をすれば人それぞれだなと思う。結局、こういった記事を求める人は「男/女」の性質を知りたいのではなく、各々が思う「人間」の本音を知りたいはずなのだ。そこでMy Hair is Badの楽曲を考えると、男目線/女目線の両方で書かれたものがあるが、登場人物の性別を超えて共感できるなと思った。彼らの楽曲に“彼氏として”、“元彼氏として”、“元彼女として”の3曲があるが、女である私が最も入れ込んでいるのは、男目線の“彼氏として”だ。それはきっとステレオタイプ化された男心/女心ではなく、いつだって「一人の人間」について歌っているからなのだろう。

1曲まるごと異性の視点で描き切った“幻”や先述した“元彼女として”などもあるが、“愛ゆえに”、“マイハッピーウェディング”や“悪い癖”は、主人公と相手の心情との交錯や会話が基軸となって展開していく。だからこそ、椎木知仁(G・Vo)が書く歌詞はドラマのように登場人物の姿が浮かんでくるし、歌詞でありながら脚本のようにも思える。どちらか一方の心理描写ではなく、言葉が交互に織り交ぜられるからこそ生まれる説得力や引力があるし、「私/君/僕」などの一人称での区別はあるものの、聴き手がどちらの心情にも溶け込めるリアリティと包容力がある。それは椎木の実体験に基づかれているからという理由ももちろんあるが、椎木自身が「男も女も突き詰めれば人間だ」ということを理解した上でその人を描いているからこそ、性別の隔たりを越えられたんじゃないかと思う。“裸”の中に《ただひとつになりたいのに/どこまでもふたつで/いくら愛や教養を見せ合っても/辿り着くのは裸だ》というフレーズがあるが、互いが個と個であることを理解しながらも、ふたりが融解することを夢見ている。その上で人は、相手の事をわかろうと模索し、相手の一番深くて柔らかい部分に触れようと手を伸ばすのだろう。

また、そういった男女の視点を問わず、マイヘアの歌詞には「わかっていたけれどしなかった/できなかった」という心情が度々描かれている。例えば“悪い癖”には《何万回使い古された愛してるより君が欲しかったものって/ずっと、もっとそばにいる、ということ/きっと、もっと言葉にする、ということ》とある。それが正解なのかは「君」にしかわからないのだけれど、相手の本音なんて結局はこちらの想像の産物でしかない。それは諦めだとか冷めているだとかではなく、その事実を受け入れながら愛のある想像力をもって相手を想いやることでしか人と人は繋がっていけないのだと思うし、完全にわかり合うことは叶わなくとも、わかり合おうとすることで相手との距離は少しずつ近くなっていくものだ。例えそれに時間がかかろうとも、人の本音に触れる為にはショートカットできない。椎木の歌詞から相手に対するそういった情熱や誠実さが強く伝わってくるからこそ、彼の歌詞は性差を超えて多くの人の心を掴むのだろう。(峯岸利恵)
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