【連載】奇跡の再始動STORY 〜NUMBER GIRL編〜

【連載】奇跡の再始動STORY 〜NUMBER GIRL編〜
【連載】奇跡の再始動STORY 〜NUMBER GIRL編〜
平成から令和へと元号が変わり、1ヶ月が経った今日この頃。この連載「奇跡の再始動STORY」では、平成という時代に解散や活動休止し、そして再び平成で復活を果たしたバンドやグループ――彼らの歩みが止まってしまったあの日から、一体どんな未来=「今」に繋がっていたのかを辿っていく。
その第四回では、NUMBER GIRLを特集する。


■邦楽ロック革命の季節の中で異彩を放ちながら登場

「福岡市博多区から参りましたNUMBER GIRLです」という向井秀徳(G・Vo)お馴染みの口上の通り、1995年に福岡で結成されたNUMBER GIRLは、インディーズパンク/ロックンロール/オルタナと全方位的なロック隆盛の目覚ましかった90年代末邦楽シーンの中でもひときわ異彩を放っていた。
感情の軋轢をそのまま鉄弦の軋みに置き換えたような、超硬質な切迫感そのものの向井&田渕ひさ子(G)のギターサウンドと中尾憲太郎(B)のベースライン。「リズムに乗る」という概念ごと衝動の果てへと押し流すようなアヒト・イナザワ(Dr)のドラミング。そして、日常という名のカオスに翻弄される焦燥感をそのまま体現するかのような向井の歌と絶叫……。ピクシーズソニック・ユースなどUSオルタナの影響を受けながらも、bloodthirsty butchers、fOULをはじめとする邦楽ハードコア系バンドへのリスペクトも自らのサウンドに滲ませながら、邦楽ロック百花繚乱状態のシーンにおいてもカテゴライズ不能な音楽を確立しつつあった。
地元・福岡でリリースしたインディーズ1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』(1997年/後に再発)の時点で突き抜けていたその存在感は、やがて彼ら自身をメジャーデビューへと導くことになる。


■信じる道だけを進む4人

既成概念や固定観念に道を譲ることのない彼らの姿勢は、メジャーデビューシングル『透明少女』のレコーディング過程にも表れている。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)のスタジオで録られたテイクのクリアな「メジャーっぽさ」に違和感を覚えた向井は、そのテイクをボツにして、福岡のスタジオでアナログ8トラックレコーダーで録音された音源をデビューシングルに採用。アンプの轟音&爆裂ドラムと、エレキギターの弦をかき鳴らす生音が共存する、という生々しくねじれた音像は、現在ストリーミング配信されているメジャー1stアルバム『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』(1999年)でも聴くことができる。
そして、その存在感は音源以上にライブシーンを抗い難く巻き込むものでもあった。デビュー直後の8月には第1回「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に出演、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTBLANKEY JET CITYTHE HIGH-LOWSDragon Ashら精鋭アクトが勢揃いしたステージに、徒手空拳のロックで真っ向から挑んで圧巻の熱量を呼び起こした名演は、今なお伝説の瞬間と語られるものだ。


■変革への欲求が生んだ熾烈な日々、そして解散

1999年の年明け早々に『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』を完成させ、世界最大級のロック見本市「SXSW」出演のため3月に渡米したNUMBER GIRLはその際、デイヴ・フリッドマンのスタジオを訪れ、早くも2ndシングル『DESTRUCTION BABY』を(『透明少女』リリース前に!)完成させていた――ということからもわかるように、一瞬一瞬を生き急ぐように張り詰めた日々を送っていたNUMBER GIRL。メジャー2ndアルバム『SAPPUKEI』(2000年)、3rdアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』(2002年)と作品を重ねるにつれて、ダブ〜レゲエ志向をはじめ次々に沸き起こる向井の表現欲求、それゆえに刻一刻と高まるバンド内のハードル……。彼らが鳴らしていた音楽のキワキワの緊迫感はそのまま、彼ら自身がバンドの一員として生きることの熾烈さの象徴そのものでもあった。
そして2002年夏、中尾が脱退を表明したことに伴い、「四人で『ナンバーガール』という共通の意思が強い」とバンド解散を決断。「1995年夏から、我々が自力を信じてやってきた、このNUMBER GIRLの歴史を、今ここに終了する」――2002年11月30日、札幌PENNY LANE 24のラストライブで向井が宣言するまで、メジャーデビューからわずか3年半、結成からでも7年あまり。あまりにスリリングで潔い、そして何よりそのスリルと潔さこそが、NUMBER GIRLの音楽と不可分なバンドの魅力でもあった。


■「懐かしさ」とは無縁の「またヤツらとナンバーガールを」宣言

「またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と。あと、稼ぎてえ、とも考えた。俺は酔っぱらっていた。俺は電話をした。久方ぶりに、ヤツらに。そして、ヤることになった。できれば何発かヤりたい」
4人それぞれの道を歩み、解散から16年以上が過ぎた今年2月15日。かくも長き「NUMBER GIRLの不在」をリセットしたのは、向井のそんなコメントだった。同時に発表された「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO」出演に加え、さらに東京・大阪・福岡・名古屋のワンマンツアー、7月27日(土)新宿LOFTワンマン、と相次いでライブスケジュールがアップデートされていくたびに、胸躍るのを抑えきれない方も少なくないことと思う。僕もそうだ。
メガセールスともシーンの王道とも無縁ながら、文字通り疾風の如くシーンを駆け抜け、今なお「懐かしさ」とは無縁の強烈な誘引力と訴求力を放ち続けているNUMBER GIRL。逆に言えば、「懐かしさ」を微塵も寄せ付けない音楽を自分たちが鳴らし続けていたという確信を得ることができたからこそ、向井も「またヤツらとナンバーガールを」と思えたのだろう。夏はもう、すぐそこまで迫っている。(高橋智樹)
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする