【連載】奇跡の再始動STORY 〜LUNA SEA編〜

【連載】奇跡の再始動STORY 〜LUNA SEA編〜
【連載】奇跡の再始動STORY 〜LUNA SEA編〜
平成から令和へと元号が変わったタイミングからスタートした連載「奇跡の再始動STORY」。平成という時代に解散や活動休止し、そして再び平成で復活を果たしたバンドやグループ――彼らの歩みが止まってしまったあの日から、一体どんな未来=「今」に繋がっていたのかを辿ってきた。全5回でスタートしたが、好評につき新たに2回分を追加する。
その第7回目では、LUNA SEAを特集する。


■異端のシーンの中でも突出した強い信念と個性を持つバンドの登場

LUNA SEAの結成は1989年。中学からの幼馴染同士のJ(B)とINORAN(G)が所属していた「LUNACY」というバンドに、同じように「PINOCCHIO」というバンドを組んでいたSUGIZO(G・Violin)と真矢(Dr)が加入、そのライブを観ていたRYUICHI(Vo)が加わり、東京・町田プレイハウスでファーストライブを行った。
ニューウェイブやパンク、ハードコア、サイケデリックロックからクラシックまで、さまざまなルーツを持つメンバーが生み出す音楽性は、既存の枠に収まらないものだった。そのジャンルレスな音楽と奇抜なヴィジュアルでのライブ活動でなかなか成果が出ない中、LUNA SEAを見出したのはX JAPAN(当時は「X」表記)のHIDE(G)だった。間もなくYOSHIKI(Dr・Piano)が主宰するエクスタシー・レコードに招かれ、1stアルバム『LUNA SEA』をリリースする。エクスタシー・レコードは、主宰イベント「エクスタシー・サミット」を日本武道館や大阪城ホールで開催するなど、インディーズレーベルとしては規格外の成功で一大シーンを築き、まさに実力派バンドが犇めく群雄割拠。その中で揉まれることで、ますますLUNA SEAの音楽はオリジナリティを体得していく。珠玉の歌謡性と攻撃性を兼ね備えたRYUICHI、SUGIZOが華やかかつヘヴィなリードギターを務め、INORANが繊細なアルペジオやリズムギターを務めるという分業形式、多点セットでダイナミックに暴れる真矢のドラム、メロディに寄り添ってグルーヴを生む硬派なJのベース――それぞれが記名性に富んだスタイルは、ヴィジュアルアプローチも含めて、すべてのパートで多くのフォロワーを生むことになる。彼らからすれば、それはただ「誰もやっていないことをする」という信念を貫いただけのことだった。

■強すぎる個性を激突させながら音楽シーンを塗り替えた末に終幕へ

1992年にアルバム『IMAGE』でメジャーデビューして以降のLUNA SEAは、まさに破竹の勢いでシーンを駆け上っていく。代表曲として知られる3rdシングル『ROSIER』、初のオリコン週間シングルチャート1位を獲得した『TRUE BLUE』などは、ロックファンのみならずお茶の間レベルまで浸透し、1995年には初の東京ドームライブ「LUNATIC TOKYO」を即日完売させるに至る。ところが、追い風に煽られる中で常にストイックに音楽へ向き合ってきた彼らは、衝撃的な決断を下す。翌年末の横浜スタジアムライブ「UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム」にて、1年間バンドの活動を休止し、一斉にソロ活動を開始することを宣言したのだ。
そして1997年、「河村隆一」名義で大ブレイクしたRYUICHIを始め、5人5様のソロ活動がスタートする。そこから今に至るまで、誰ひとり止まることなく続くわけだが、この時明らかになったのは、本来ひとつのバンドに収まるはずのないほどの多様性。今でこそLUNA SEAの何よりの強みであるその多様性を、当時のバンドは抱えきれなかった。約束通り1年での活動再開後、『I for You』などのヒットシングルをリリースし、結成10周年記念にお台場の特設会場で10万人を動員した野外ライブ「[NEVER SOLD OUT]CAPACITY∞」や、初のアジアツアーを開催するも、メンバー間の絆はバラバラになっていったのだ。
そんなバラバラの個性が容赦なく火花を散らすスリリングな傑作アルバム『LUNACY』を残し、2000年の11月8日、「終幕」を発表。その年末の東京ドームライブ「THE FINAL ACT TOKYO DOME」をもって活動を終えた。「解散」でもなく「無期限活動休止」でもなく、「終幕」という言葉にこだわったところがLUNA SEAらしい。

■充実のソロ活動を経て、運命のREBOOT(=再起動)

終幕後は、それぞれがソロアーティストとして充実した活動を続けていく。ドラマやバラエティへの出演から、アーティストプロデュース、海外での活動や新バンド結成など、ここまでメンバー5人全員が別々のフィールドで個性を発揮できるバンドも珍しい。だからこそ二度とLUNA SEAに戻ることはないのだろうと思われていた――2007年7月、謎のカウントダウンの先に告知されたのは、一夜限りの復活ライブ「GOD BLESS YOU~One Night Déjàvu~」だった。
くしくも満月が輝く運命的な日、終幕した東京ドームのステージに立った5人。色あせない名曲たちを奏でる音は、過去のどんな伝説的ライブよりも力強く生まれ変わっていた。それは多様極まるソロ活動によって、5人全員がレベルアップしていたからに違いなかった。が、今でもベストアクトに挙げる人も多いこのライブのエネルギーは、「一夜限り」の名のもとに、再び封印されてしまう。
そこからバンドとしては沈黙の期間を経て、ついに2010年、「REBOOT(=再起動)」と称して、本格的な活動再開を宣言する。このように彼らが何かを決める際に、必ず5人での決議と熟慮を重ねるという頑固なスタイルは、結成当初から変わらない。ドイツ、アメリカ、香港、台湾という初のワールドツアーで始まった活動のあとも、すぐにリリースやライブが行われるわけではなかった。前代未聞の東京ドームフリーライブ「LUNACY 黒服限定GIG ~the Holy Night~」(観客は全員黒い服着用)や、1stアルバム『LUNA SEA』のセルフカバーを経て、待望のニューシングル『THE ONE - crash to create -』は20分越えのプログレッシブナンバーだったりと、一筋縄ではいかない。REBOOT後初のオリジナルアルバム『A WILL』が発売されたのは、3年後の2013年。まさに満を持した『A WILL』は、LUNA SEAがREBOOTした意味と決意を音に刻みつけた名盤だ。

■未知なる刺激を貪欲に追い求める5人の旅はこれからも続く

貪欲に挑戦を続けるLUNA SEAの活動として記憶に新しいのが、2015年と2018年に開催された「LUNATIC FEST.」だ。初回は、自身を見出してくれたX JAPANや、DEAD ENDBUCK-TICKと言った先輩世代から、9mm Parabellum Bullet凛として時雨、[ALEXANDROS]などのフォロワー世代まで、ジャンルを越えた多彩なバンドが出演(ライブレポート:1日目2日目)。2回目LOUDNESSや大黒摩季、BRAHMANback numberと、ソロ活動で培った新しい縁が繋いだ出演陣が名を連ねた。出演アーティストが発表されるたびにTwitterでトレンド入りするほど話題を呼び、会場で繰り広げられたありえない共演の連続は、あらゆる世代の、あらゆるロックファンを興奮させてくれた。インディーズ時代から多くのバンドに揉まれて育ってきたというルーツ、そしてメンバー自身が常に新しい音楽を求めていることで、唯一無二のハブとしての役割が今のLUNA SEAにはある。
SUGIZOのX JAPANのメンバーとしての活動も知られているように、さまざまな場所で、まだまだ未知なる刺激を求め続けている5人。バンドとしての活動は決して頻繁とは言えないけれど、個々で受けてきた刺激が5人分還元される場所こそが、LUNA SEAだ。5人がお互いを認め合い、高め合う五角形の結束は、年々強くなっている。
そして30周年となる今年、ここにきてなお「初」の外部プロデューサーとしてスティーヴ・リリーホワイトを迎えて、来る12月にニューアルバムがリリースされる。歴史と責任を背負い、変化を恐れずに進むLUNA SEAは、これからも驚きと興奮に満ちた景色を見せてくれるはずだ。まずは最新の音楽が、今から楽しみでならない。(後藤寛子)
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