米津玄師が“まちがいさがし”を、あいみょんが“キスだけで”を菅田将暉の歌声に託すことには確かな理由がある

米津玄師が“まちがいさがし”を、あいみょんが“キスだけで”を菅田将暉の歌声に託すことには確かな理由がある - 『LOVE』初回生産限定盤『LOVE』初回生産限定盤
時代は凄いスピードで変わって、風景は塗り替わって、人も物も金も芸術も価値を変えていく。
それでも変わらないものがある。
菅田将暉がその存在で、特に歌を歌う姿で伝えようとしていることはそういうものだと思う。
1975年生まれの僕の世代感で言うなら、ブルハやエレカシの曲とか、ダウンタウンのコントとか、松本大洋のマンガとか、佐内正史の写真とか、谷川俊太郎の詩とか、勉強机で聞いてたオールナイトニッポンとか、一言で言うなら子供の頃に舐めた血の味がするようなもの。
くるりとか銀杏BOYZとかandymoriとかいろんな世代のアーティストの音楽からもその変わらないものが受け継がれていくのを感じていたけれど、菅田将暉は「変わる」スピードがぐんぐん加速していく今という時代の中で、全力でその変わらないものを役者としても一人のただの男としても全身から放って、そしてそれを今は歌にも変えて叫んで生きている人だと思う。
そんな彼の歌声に託すから、米津玄師は《起きがけの子供》と、あいみょんは《心臓泣かせの夜》と、まさに血の味がする言葉を自身のソングライティングの力を駆使した上で絞り出す。
菅田将暉と同じ時代を生きる中で、彼と出会ったから形にできる変わらない何かを伝えようとする。
石崎ひゅーいや忘れらんねえよの柴田隆浩も、太賀も映像作家の山田健人も写真家の奥山由之も、みんなそうだ。
そして7月10日にリリースされるセカンドアルバムでは何より菅田将暉自身が作詞・作曲する曲が、その変わらないものが「LOVE」であることに気付いて覚醒している。
言葉通りのイメージとは違う血の味がする「LOVE」を多くの人に偏見を取り払って受け取ってもらいたい。(古河晋)
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