なぜ嵐と米津玄師の邂逅は「必然」だったのか? 6人が想いを重ねた"カイト"から紐解く

2019年12月31日、令和初となる『NHK紅白歌合戦』。2010年代の終わりと、2020年代のはじまり。その境の夜に、嵐は米津玄師から贈られた楽曲"カイト"を初披露した。
日本が誇る二大トップアーティスト同士のコラボレーションが実現。それだけでも十分に感動的なのだが、僕はこの曲を初めて聴いた時、今、嵐と米津玄師が出会う「必然」に触れたような気がして、強く心を震わせられてしまった。

ついに幕を開けた2020年。嵐は残り1年間、12月31日まで全速力で走り続けるだろう。そして、活動休止は決して終わりではない。その先の未来へ進むための一つのステップなのだ。
そんな嵐の5人へ向けて、米津玄師が贈り届けた"カイト"では次の言葉が紡がれている。

《嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ/悲しみを越えてどこまでも行こう/そして帰ろう その糸の繋がった先まで》

そう、嵐の5人には、帰る場所がある。
その場所とは、これまで嵐が切り開き続けてきたJ-POPシーンのど真ん中にほかならない。
僕たち、私たちが、嵐の5人を信じて待ち続けることで、彼らが帰るべきその場所を守り続けることができるのだ。
そのことが、どれだけ嵐にとって心の支えとなるのか。もはや、僕には想像もできない(スペシャル対談映像では、相葉雅紀がこの歌詞について「あのことばで救われるんだよね」、「やっぱり糸つながってるから帰れるんだなって思うと、すごいなんかね、救われるんですよ」と熱弁する一幕を見ることができた)。

米津玄師は、彼ら5人が胸に抱くリアリティーを確かに感じ取り、そして、この"カイト"に祈りのようなエールを込めた。2019年、嵐が懸命に表現し続けてきたリスナーへの想いに対して、米津玄師がこの曲を通して回答してくれた、と言ってもいいかもしれない。
なお、米津玄師は、『紅白歌合戦』で嵐が同曲をパフォーマンスする前に、楽曲の成り立ちについて次のように語っていた。

「この"カイト"という曲を作るにあたって、いろんなことを考えましたが、その内の大きな一つは、今の自分は誰かに生かされてきた、ということでした」

「自分の身の回りにいる人間や、遠くで自分に影響を与えてくださったたくさんの方々、その全てに、ちょっとずつちょっとずつ許されながら、『お前はここで生きていてもいいんだ』と、そういうふうに許されながら、生きてきたのが今の自分だと考えていました」

「生かされてきた」という言葉が、何よりも象徴的だ。まさに嵐の5人と同じように、音楽を贈り届ける立場にある米津玄師自身も、その音楽の受け手である僕たちリスナーの存在に、居場所を認められ、救われ続けているような感覚を抱いているのだろう。
この言葉は、単なるリスナーへの「感謝」以上に重たい響きを放っている。表現者としての業や覚悟、生き様が込められている、と言ってもいいかもしれない。

嵐と米津玄師は、日本の音楽シーンを彩り、導き、革新し続けてきた類稀な表現者だ。だからこそ、6人は"カイト"を通して、深く共鳴し合うことができたのだろう。この邂逅を、「必然」と言わずして何と言おうか。
これから嵐の5人が"カイト"を歌っていく光景を想像するだけで、思わず胸が熱くなる。そしてこの曲が、2020年の先へ、いくつもの時代を超えて愛され続けることを信じたい。(松本侃士)

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