マカロニえんぴつ“恋人ごっこ”MVがはっとり自身の渾身の演技も含めて伝えようとしたエモーションとは?

マカロニえんぴつ“恋人ごっこ”MVがはっとり自身の渾身の演技も含めて伝えようとしたエモーションとは?
バンドマンが演奏シーンだけでなく芝居をしているミュージックビデオに出くわすと、なんだかこっ恥ずかしくて観ていられない。台本渡されたときどんな気分だったんだろうとか、NG出しまくったりしてたんじゃないかとか。もちろんすべて余計なお世話だが、彼らは普段の思いの丈とか自分の経験とかを歌にしてぶっ放しているから、つまりその表現はドキュメンタリーなわけで、そういう人間が「役者」をやっているのを見るのがこそばゆいのかもしれない。

その意味で、マカロニえんぴつ“ブルーベリー・ナイツ”のMVは観るのに結構勇気がいった。でも観てしまえば素晴らしいビデオで、実は思ったほどこっ恥ずかしくなかった。はっとり(Vo・G)がキスしてるのかしてないのか、そんなことはどうでもよくて、楽曲と映像がちゃんとリンクしてお互いに高め合っている感じが最高だった。そして、その“ブルーベリー・ナイツ”以上に傑作といっていいのが、このたび公開された“恋人ごっこ”のビデオだ。


“恋人ごっこ”は、4月1日(水)にリリースされるマカロニえんぴつのニューアルバム『hope』の収録曲であり、2月7日に先行して配信リリースされた楽曲だ。1月12日に開催されたマイナビBLITZ赤坂での「マカロックツアーvol.8 ~オールシーズン年中無休でステイ・ウィズ・ユー篇~」ファイナルで初披露されたのだが、そのときの印象は鮮烈だった。「ひーふーみーよー」という力の抜けたカウントから始まり、スタッカートのリズムと分厚いコーラスが明るく鳴り出す。中期ビートルズ的なカラフルさを見せながら進んでいく楽曲は、終盤で一気に展開し、ドラマティックで壮絶な思いが爆発して果てる。ムードは明るいのに、その明るさがかえって切なさを助長する。

その切なさをなおさら強烈に描き出すのが、このMVだ。終わった恋とくすぶる未練、「ごっこ」でいいからもう一度という哀しい願い。この曲に込められたすべてが純度高く映像化されている。監督は井樫彩。まだ20代前半ながら映画祭での受賞歴も多い、新進気鋭の映画作家である。彼女を起用したというのが誰のアイデアかは知らないが、このMVのポイントはまさにそこだと思う。井樫彩はこれまで常に女性の視点で女性を描いてきた監督だ。この“恋人ごっこ”のビデオも、主人公ははっとり演じる元カレではなく、今は別の人と付き合っている彼女(演じているのは昨年『惡の華』に出演して話題となった秋田汐梨)のほうである。

最初悲しげな表情を浮かべていた彼女は、ラストシーン、彼氏のバイクの後ろに乗ってそっと微笑む。一方元カレは、彼女との思い出に浸り、ひとりで自転車で帰っていく。《たった今 さよなら》。歌詞では「僕」の一人称で描かれていた物語が、視点を変えることによってより深い切なさを持ったものになる。《忘れていいのは君なのに/忘れたいのは僕だけか》というフレーズの意味がリアルに立ち上がってくる。彼女の感情の動きを丁寧になぞる映像によって、かえって楽曲の本来の主人公である「僕」のひとり相撲ぶりが明らかになるのだ。

と同時に気がつくのは、はっとりの書くラブソングにおける主人公の「脇役」性だ。振り返ってみれば“レモンパイ”でも“二人ぼっちの夜”でも“ブルーベリー・ナイツ”でも“two much pain”でもそんな気がするのだが、はっとりは一人称で主人公を描きながらも、その主人公は実は物語の主導権を握っていない。大抵の場合、事態は取り返しのつかないところに来ているし、命運は「君」や「あなた」の手にある。その状況を前に、主人公はただひとりで愛を叫ぶのだ。そう、映画館でフィルムの切れた映写機が照らすスクリーンを眺め続けるはっとりのようにひとりで。

それがはっとり自身の恋愛観なのか、それとも表現者としての客観視が生み出したものなのかはわからない。だが、そんな彼だからこそ、ビデオの中でも脇役に徹してすっとなじむような芝居ができるのかもしれないと思うと、なんだかすごく納得がいくのである。(小川智宏)
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