“悲しみはバスに乗って”は、マカロニえんぴつが先日リリースしたアルバム『大人の涙』のリードトラックだ。
曲を聞き始める前、ふと疑問に思ったのは“悲しみはバスに乗って”……どうなるのか、ということ。
“悲しみはバスに乗って”やって来たのか、
“悲しみはバスに乗って”やって来るのか、
“悲しみはバスに乗って”どこかへ行くのか。
聴き進めると、《どこでもいい どこかへと行こう》と、過去でも現在でもなく、未来に向けて歌われていることがわかる。
そのどこかとはつまり、それぞれの人生の、あるいは目的の終着点である。
人生の悲喜こもごもを携えて、バスは行く。
《この命が燃える目的は何? /ここで、もういい きみとなら》と自分に問いかけながら。
そしてたどり着いたのは、《ありふれた日、ありあまる日/ ありきたりなしあわせ》という言葉。
楽しさや喜びや、あるいは悲しみや苦しみだったりが必要以上にありふれていて、いろんなものがありあまる日々を送る私たちは、《ありきたりなしあわせ》にしあわせを感じなくなってしまっているのではないか。
幸福における栄養過多のような状態。情報過多な社会だからこそ起きうる現象、というか症状だ。
ありふれた日、ありあまる日については、『ROCKIN'ON JAPAN』10月号の表紙巻頭特集でもはっとりがこの言葉に込めた想いを解説してくれているが、つまりそういうことだ。
そんな現代の幸福過多、情報過多社会による弊害を鋭い視点で切り取って描いてみせたのが“悲しみはバスに乗って”MVである。
監督はNetflix映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』の森義仁。
染谷将太が出演し、本格的な短編ショートフィルムに仕上がっている。
主人公の青年(染谷)は冒頭、医師から「情報可視化過剰性摂取視覚障害」という病名を告げられる。
症状は、「他者の顔にさまざまな情報が可視化される」「重症の場合、余命が見えることもある」というもの。
どうやら青年は重症のようで、以降すれ違う人々の顔に「余命」が見えるようになるのだが…というあらすじだ。
描かれるテーマやストーリーは、MVとしてはかなり重ため。
だがしかし、全編を通して軽やかに、そして儚げに響くはっとりの歌声と10周年を経てたどり着いた至極のアンサンブルがそんな世界を鮮明に彩っている。
(途中、花屋の店員として登場するはっとりの何気ない表情も仕草も素晴らしい)
決して暗い物語ではない。悲しい物語ではない。
ここで描かれているのは、《ありきたりなしあわせ》かもしれないけれど、そこにはたくさんの「希望」が託されているのだということ。
そしてその希望こそが、《命が燃える目的》なのだ。
ラストシーンまで目が離せない“悲しみはバスに乗って”MV、まだ観たことがない人はぜひチェックしてみてください。
そして、“悲しみはバスに乗って”が収録されたマカロニえんぴつの最新アルバム『大人の涙』については、『ROCKIN'ON JAPAN』10月号の表紙巻頭特集にてマカロニえんぴつのメンバー全員インタビュー、「はっとり 続・2万字インタビュー」、アルバムレビューの3本立てでさらに深掘りしているのでこちらもぜひご覧ください!(橋本創)
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マカロニえんぴつ“悲しみはバスに乗って”MVが描き出す《命が燃える目的》とは――終着点を探す旅路の果てで
2023.09.25 19:00