なんで僕たちはこんなにも巨匠、義勝、武正、八木の4人だから鳴り続けるKEYTALKの音楽が大好きなんだろう?

なんで僕たちはこんなにも巨匠、義勝、武正、八木の4人だから鳴り続けるKEYTALKの音楽が大好きなんだろう?
インディーズデビューをしてから今年で10年。相変わらず僕たちはKEYTALKというバンドに魅了され続けている。もちろんそれにはいくつも理由があるわけだが、結局のところ、こんなとんでもない4人が集まってとんでもない音楽をやっている、それに尽きるのではないか……と、最近ますますドライブがかかっている彼らの進化っぷりに触れるにつけ思う。

超アッパーなダンスチューンからポップな歌モノ、泣きのバラードまで何でもござれの音楽性の豊かさとそのクオリティ、好対照なツインボーカル、ライブにおけるエンターテインメント性、トークのおもしろさに、モノマネから利き鉛筆まで至るネタのインパクト、同世代バンドのなかでも抜きん出ているプレイアビリティやミュージシャンシップと、それと相反するようでいてまったく矛盾することなく共存している柔軟さ。ぱっと思いつくだけでもKEYTALKを魅力的なバンドたらしめている要素はいくつもある。そうやって思いついた魅力について考えたときに驚くのは、そのすべてが、彼らがシーンに登場したその瞬間から、いや、おそらくは4人が集って音を鳴らした瞬間からすでにそこに生まれていたものだということだ。

今ではすっかり慣れたが、最初の頃はKEYTALKを観るたびに「なんでこの4人でバンドやってるんだろう?」と不思議に感じていた。何せ、当時は4人中3人がバンドを掛け持ちしていたし、しかもそのバンドのカラーもてんでバラバラだった。さらにメンバー自身のキャラも見た目も驚くほどに四者四様。どう考えても一枚岩なようには見えなかったのだ。でも、その後このバンドは一度も止まったり崩れたりすることなく続いてきた。僕の見立てが間違っていたわけだが、たとえば4人の個性が過去最高レベルでぶつかってポップに爆発している最新アルバム『DON'T STOP THE MUSIC』を聴いていると、むしろそのバラバラで一枚岩には見えないキャラクターこそが、このバンドのいちばん大事なところだったのだろうと思う。

派手な髪と個性的な出で立ちで手でも顔でもギターを弾き倒す小野武正(G・Cho)、朴訥とした顔をしながら美メロと切ない声を響かせる首藤義勝(Vo・B)、好きあらばフィルを突っ込んでくる天然型超攻撃的ドラマーでありながら、同時にバンドのマスコットとしても機能している八木優樹(Dr・Cho)、そして白いマイクスタンドの前に堂々と立ち、KEYTALKのポップサイドを体現するような歌を届ける寺中友将(Vo・G)。バックグラウンドも趣味も違う4人がそれぞれの個性と才能を自在に発揮することで、彼らは幅広い楽曲と豊かなエンターテインメントを生み出してきた。普通は枠に収まるようにカドを取ったり形を整えたりするところ、KEYTALKの場合には「枠に収めない」ことこそがルールだとでもいうような奔放さがある。そうじゃなかったら、たとえば――今、本日リリースされたビクター時代のベストアルバムのトラックリストを見ているのだが――“桜花爛漫”と“Summer Venus”と“ロトカ・ヴォルテラ”、これほどあちこちに広がった楽曲たちが同じバンドから出てくるはずがない。

つまり、KEYTALKというバンドの本質は、音楽的なビジョンやイメージ、もしくは文学的な思想や哲学を体現するというところにはないということだ。もちろん時代に対するカウンターとか、大衆に対するアプローチというものでもない。4人で音楽をやることが手段ではなく目的で、4人で作って鳴らすものでさえあれば、それがどんな曲でもいい。極論をいえば、彼らはそういうタイプのバンドだ。それをアリにするために、メンバーそれぞれはどんどん魅力的にならなければならないし、スキルもキャラも磨かなければならない。そうして進んできた結果が、キャラも立ちまくり、音楽的にもキレッキレ、そしてその結果がポップにアウトプットされている今のKEYTALKなのだ。

かなりテクニカルな曲やいびつな曲、カオティックな曲など、一筋縄ではいかない楽曲がKEYTALKのディスコグラフィにはたくさんある。しかし、たとえばこうしてベストアルバムで振り返れば、あるいはアルバム1枚を通して聴けば、その凸凹っぷりがそのまま4人の凸凹っぷりを反映していることがわかる。八木が書いた曲なんかを聴いていると、キャラの成長がそのまま音楽の進化に直結している感じがする。そのありかたが、まさしくKEYTALK的だなと思うのである。(小川智宏)
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