マカロニえんぴつが『hope』と名付けた最新アルバムで伝えるのは光なのか? 闇なのか?

マカロニえんぴつが『hope』と名付けた最新アルバムで伝えるのは光なのか? 闇なのか? - 『hope』『hope』
《ハロー、絶望 こんなはずじゃなかったかい?/でもね、そんなもんなのかもしれない》

上記のフレーズは、4月1日にリリースされたマカロニえんぴつの2ndアルバム『hope』に収録されている曲“ヤングアダルト”の一節だ。「希望」という言葉が掲げられたアルバムの中で「絶望」という言葉が歌われている。一見それは矛盾しているかもしれない。しかし『hope』と名付けられた今作では、絶望と隣り合わせの希望、希望と隣り合わせの絶望について歌われているのだ。

恋でも夢でも青春でも、大切なものを見つける作業は、同時に、無限の宇宙を自らの手で有限にしてしまう作業だ。一人の人間が抱きしめられる事柄なんて限られている。それなら選ぶしかない。選ぶためには、選ばないことに決めたそれ以外の物を諦めるしかない。だから人は何かを諦めなければならなくなった時、「できるだけ綺麗な言い訳を添える」という最後の抵抗に走る。望む物を手に入れられた人が何も失っていないのかというと、そういうわけでもない。後悔しているかどうかとはまた別に、「捨てた」という事実はただ、そこに在る。

こういう種類の喪失とそれに伴う悲しみ、何だか泣きたくなる気持ちは、誰のせいにできることでもない。何故なら「選択」を行ったのは紛れもなく自分自身だからだ。だからこそ、一度襲われてしまったが最後、孤独は底なし沼のように続く。夜はどんどん深まるばかりである。

『hope』というアルバムで絶望が歌われているのは、そんな夜の存在を許してもいいのだと、ここにある音楽を逃げ場にしてもいいのだとあなたに知ってほしいからだ。

《眠れぬ夜の心音の風景 空に浮かべてる/また朝が少し遠くなる》(“遠心”)

《ベランダから春が射した/理由もなく泣いてしまった/柔らかな嘘を貯める/何故だろう、変われない》(“hope”)

《大事なものに出会う度/大事なものを無くす旅/大事なもの以外を許す日々である》(“この度の恥は掻き捨て”)

《無茶はしないのがいいのかもな/無理に言い聞かせて仕舞った》(“たしかなことは”)

《もう二度とあなたを失くせないから/言葉を棄てる 少しずつ諦める/あまりに脆い今日を抱き締めて手放す》(“恋人ごっこ”)

同時にこのバンドは、それでも生きていくしかないこの世界の希望を鳴らそうとしている。

《いつか君が本当に大事な夜に出逢ったら/離すなよ、逃げるなよ、迷わずに飛び込めよ》(“嘘なき”)

《人の流れは季節より早く/微熱の暮らしにいつの間にか慣れた/おやすみ、何も言わなくていいよ/抱きしめてたのは孤独だった》(“たしかなことは”)

《この先どうやっていくのも正しくて/自分に期待をしてやれば真っ当だ/破裂する青春の、その六秒前よ透き通れ/僕は歌っている 足掻いている/戻れないなら、繰り返している》(“Supernova”)

《手を繋いでいたい/手を繋いでいたいのだ/余計な話は今はしなくていいから/僕らはまだまだ それぞれだけれどね/それでも、それでも/君が好きだ ただ君が好き》(“hope”)

4月といえば新年度。特に今年は、新生活を前に緊張感を覚えている人のみならず、ほとんどの人が「この先どうなっていくんだろう」という気持ちを抱えて過ごしているのではないだろうか。優れたクリエイターは時代に対して、期せずして「言い当ててしまう」ことがある。今、マカロニえんぴつが『hope』という名の作品をリリースすること、「希望」という単語を掲げた作品を世に放つことを選んだことは、偶然とか予知とかそういう話ではないだろう。その意味を考えながら、引き続きこのアルバムと向き合いたいと思う。(蜂須賀ちなみ)

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