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ニール・パート(ラッシュ)
1975年の第2作『夜間飛行』でラッシュに加入以来、ニール・パートはメンバーであり続けた。2020年1月7日に亡くなった際には、ミュージシャン多数が追悼しリスペクトを表明した。カナダのこのバンドは海外で絶大な人気を誇り、パートは理想のドラマー像ともなっている。
初期ラッシュは、ゲディ・リーのボーカルもアレックス・ライフソンのギターもレッド・ツェッペリンの影響が濃かった。だが、パートの手数が多いドラムは、早くから才能を発揮していた。ハード・ロックで出発したラッシュは、コンセプチュアルな大曲化へ進み、起伏に富んだ構成のプログレへと脱皮して個性を確立する。それが可能になったのは、ジャズの影響を背景にシャープで正確な演奏をしたパートが、文学好きで作詞も担当したからだ。
80年代に入り音楽界がニュー・ウェーブ全盛になると、UKプログレ勢の多くが苦境に陥る。それでも活力を持てたバンドは、大幅なメンバー交代かセッション・プレーヤーの多数起用を選んでいた。一方、アレンジの緻密さよりキャッチーなメロディを軸にしたアメリカン・プログレ・ハードも台頭する。ラッシュが稀有なのは、同じ3人組のまま上手に変化し、80年代も成功したこと。アメリカ的なわかりやすさとUK的な緻密さを両立できたのである。『ムービング・ピクチャーズ』はその頃の代表作だ。
“トム・ソーヤ”(ドラム・フィルのかっこよさでも知られる)がヒットした同作は、前作に続き当時流行のレゲエを導入した曲があるなど、ポップな内容だった。とはいえ、要所で変拍子を織りこみ、モールス信号からイントロのリズムを着想したインスト“YYZ”でバンドの高度なテクニックを聴かせるなどプログレ要素もみせた。
ラッシュが時代に順応できたのは、思考が柔軟で全員が新しいサウンドのとりこみに貪欲だったからだ。パートの場合、多数の打楽器を揃え自分を360度囲んだドラム・セットが有名だが、80年代以降は電子パーカッションを組みこむなど更新を図っていった。また、彼はもともとスティックを逆向きに持ち太い方で叩いていたが、90年代のジャズ・トリビュートを機に自らのスタイルを見直し、通常の持ち方に変えている。その時々における最上の演奏を探求し続けたのだ。もっと日本でも注目されるべき存在である。(遠藤利明)
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