スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、『メロンコリーそして終りのない悲しみ』を振り返る

スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、『メロンコリーそして終りのない悲しみ』を振り返る

12月19日に1995年の名作『メロンコリーそして終りのない悲しみ』のデラックス・ボックス・セットをリリースするスマッシング・パンプキンズだが、ビリー・コーガンはこのアルバムを『ローリング・ストーン』誌との取材で振り返っている。

ビリーはこのアルバムをリリースした1995年の時点で『ローリング・ストーン』誌にこの作品について「ある時代の終わり」と語っていたというが、実際にこのコメントが何を意味していたのかという問いに、ビリーはまずこの時のラインナップにとってはこれが最後のアルバムだったと答えている。なお、このアルバムのツアー中の96年にドラムのジミー・チェンバレンとツアー・キーボードのジョナサン・メルヴォインがヘロインの過剰服用で昏睡状態に陥り、その後、メルヴォインは死亡した。ジミーはバンドをクビになり、バンドは新ドラマーとキーボードを補充してツアーを続行した。こうした事情を踏まえてビリーは次のように続けている。

「その後、あのラインナップで一貫したレコーディングを行うことはもうなかったからね。ぼくたちが4人で最も情熱をもって作業をしたのはあれで最後となったんだ。だから、そのことにぼくは感づいていたんじゃないのかな。なんとなくそれがわかって、それがあの作品で最大限のものを引き出してやるという、あれほど必死にやっていくことになったことと関係していたのかもしれないね。ぼくは50曲以上も曲を書いたし、山ほどレコーディングもしたんだよ。今回の再発の内容でもわかると思うけど、ほかにも無数に音源があって、特にものによっては作品の変化の流れもわかるから、なかなか興味深いんだ。だから、そういう意味でも最後のアルバムだったのかもしれないね。その後にもアルバムは作ったけど、そうした作品は残り物をどうするかという問題の作品だったわけでね。そして、いろんな意味合いで『オセアニア~海洋の彼方』はまた、あれ以来、初の新作とも言えるんだよ。わかってもらえるといいんだけど。要するに、その間に起きたことは、船が沈没して、その遭難事故から立ち直るまでの間に起こったさまざまな事象に過ぎないということになんだよ」

また、現在のロックについてビリーは、アンダーグラウンドのものは今も多く存在しているが、メインストリームにおける前衛性が失われてしまったと語っている。「いろんな人たちが一斉に一団となって丘を登って行けたのはグランジ期が最後だったんだよ。それがやれたのはみんな実はお互いのことが好きじゃなかったからなんだ。そうやって張り合いながらの集団的な現象だったんだよ。なにかがある一定の時期にわたって起きたという実感が伴った時期はあれが最後だったと思うよ。たとえば、90年代にはKOЯNやリンプ・ビズキットが登場して、相当に活躍してくれたけど、音楽を越えた大きな現象が起きているという実感があったのはあのグランジ期が最後だったんじゃないかな。メインストリームのロックは相当に、行儀の悪さを失ってしまったよ。言ってみれば、ラップトック・ロックというものになってしまったことと関係あるんじゃないのかな。あるいはバンドがもうチャートに入ろうと努力しなくなったこともまた関係しているのかもしれないね」

また、アルバムについてビリーは今振り返ってみて、やろうと思えばレコード会社から予算をふんだくってもっと完璧なレコードを作ることもできたかもしれないと語っているが、その代わりに自分たちは自分たちが実際に目にして感じたものを完全に捉えたかったのだとしていて、そうした意味で完璧な不完全なレコードになったとビリーは説明している。
「それは(ピンク・フロイドの)『狂気』が当時の時代にとっては完璧であるのと同じことなんだよ。僕たちの世代はめちゃくちゃにされた世代だったんだ。めちゃくちゃな時代だったからね。今振り返ってみると、どれだけめちゃくちゃだったのか、なおさらわかるっていうもんだよ。『メロンコリー』はニヒリズムと感傷と破格の希望とがいびつに組み合わさった作品なんだ。あの世代はあの時、そんな場所にいたんだよ」
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