ロス市警、ノトーリアスB.I.G.の遺族に事前通知せずに検死報告を公表したことを謝罪
2012.12.11 17:30
ロサンジェルス市警は先頃、1997年に銃撃死したラッパーのビギー・スモールズことノトーリアスB.I.G.の検死報告を公表したことについて、親族への通知が事前に行われていなかったことを謝罪している。
市警は親族への通知が検死報告の発表前に行われなかったのは行政手続き上の手違いがあったと説明していて、強盗及び殺人課長で今回の件を担当しているビリー・ヘイズ刑事部長は次のような声明を発表している。
「金曜日の夜には所轄の刑事からウォラス家に連絡を入れさせていただき、発表前になんの連絡もなかったことを謝罪しました。ご承知のようにこの事件はわたくしどもにとって非常に難しい事件となっております。目撃者やその他情報をお持ちの方はこの事件解決のための手がかりとしてぜひお知らせください」
本名をクリストファー・ウォラスといい、ビギー・スモールズと称することが多かったノトーリアスB.I.G.は『ライフ・アフター・デス』のプロモーションのために訪れていたロサンジェルスで、1997年3月9日未明にウィルシャー大通りをシェヴィー・サバーバンの助手席に乗って走行していたところ、通りがかりの車から銃撃を受け、身体に4発銃撃を受けて死亡した。その後、長く捜査が行われたが、犯人は特定されていない状態で、事件は迷宮入りとなっている。ただ、新しい証拠などの発見により、捜査は昨年から再開されている。
今回公表された検死報告によると、ビギーが受けた銃弾4発のうち3発は致命傷ではなかったと明らかになっている。ただし、4発目が致命傷となり、「右側の腰から着弾し、さまざまな臓器に損傷を与えながら体内をえぐって左肩の手前で止まった」と説明している。弾丸は結腸、肝臓、心臓、肺を貫通したという。
それに対して1発目は左前腕に当たり、2発目は背中に命中したが臓器には至らず、3発目は左大腿を貫通したという。銃弾はすべてビギーの身体に命中する前に車体側面を貫通していた。また、検死官はビギーの身体について「病的に肥満」とも記述している。
なお、ビギーの銃撃事件は、その半年前の1996年9月にラスヴェガスでやはり車で移動中に通りがかりに銃撃されその後病院で絶命したトゥパック・シャクール銃撃事件の報復として行われたのではないかと長く囁かれている。トゥパックの事件もまた迷宮入りのままとなっているが、ビギーとトゥパックは生前、ニューヨークとロサンジェルスのヒップホップ東西抗争を体現していたことで知られている。
ビギーは1972年5月21日にニューヨークのブルックリンで生まれ、プロデューサーのディディことショーン・パフィ・コムズに見出され、デビュー作1994年の『レディ・トゥ・ダイ』で一躍90年代を代表するラッパーのひとりとなった。
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